先日も書いたが、丸井今井でのムーミン展が、トーベ・ヤンソンの原画そのものを大量に展示したものであったのに対し、今回、道立文学館で開かれた「ムーミンの世界展」は、文学館らしく、原作のストーリーやキャラクターを紹介することに重きを置いていた。
これは、どちらが優れているということではないだろう。ただ、文学館の方が、従来テレビシリーズに親しんできた人が、原作との相違点に気づくには、役立つだろうと思う。
(あと、かつて講談社、のちにちくま文庫から出された、彼女の弟がかいていたコミックスシリーズも、けっこう紹介されていて、懐かしかった)
もっとも、いくら丁寧にあらすじを書かれても、読んだことのない本を知るには限界は当然ある。あらためて彼女の本を読みたいという気持ちになった。
彼女の絵の魅力そのものを知るという観点では、文学館に来ていたのが複製だったことを思うと、丸井今井の方に軍配が上がるだろう(原画が意外なほど小さかったのと、グッズ販売コーナーがおそろしく充実していたこともあわせて記しておきたい)。
あと、特筆すべきなのが、これ。
こんな太っ腹な展覧会はちょっとないです。
この展覧会が、道立文学館が開館して以来の入場者数を記録したのも、こういう寛大な計らいのためかもしれない。
もっとも、今回は、絵は複製ばかりという事情も手伝っているのかもしれない。
ところで、ムーミンはどうしてこんなに人気があるのだろう。
キャラクターの絵のかわいらしさとか、テレビアニメで有名だったこととか、いろいろ理由はあるだろう。
しかし、そういうシリーズはほかにもいくつかあって、ムーミンが特別な理由にはならない。
いろいろ考えているのだが、よくわからない。
筆者は、ムーミンの童話を半分も読んでいない。
だから、あまり語る資格はないのだが、いちばん好きだったのは「ムーミンパパの思い出」だった。
小さかったころのムーミンパパが孤児院を脱走する場面についていた挿絵(丸井今井でも出品されていた)が、今回、スライドで、他のいくつかの作品と交互に、壁に投影されていた。
この絵を見ていると、目に涙がにじんできた。
おさないムーミンパパの不安が思い出されてきた。
あの不安は、世界に投げ出された少年としての自分の不安でもあり、すべての少年少女の不安でもあると思う。
ムーミンパパのようなみなしごではなくても、自分がほんとうに親の子なのか、自分はどこからきたのか、不安にならない子どもはいないだろう。
ムーミンのシリーズには、そういう、大人たちが忘れかけている、原初的な気持ちとでもいうべきものが、いくつも詰まっているのかもしれない。
貴重な初版本。スウェーデン語版。
もうひとつ。
ここでは詳述する暇がないが、トーベ・ヤンソンは、スウェーデン語話者という、フィンランドではマイノリティーに属していたことは、記憶していていいだろう。
Wikipedia (ウィキペディアにあらず)によると、人口の6~8%がスウェーデン語を母語とするらしい。表立った差別があるという話はきいたことはない。
右は、最後の童話「ムーミン谷の十一月」の紹介コーナーに垂れ下がっていたもの。
スナフキンという風来坊の存在がこのシリーズに深みを与えていることは、いまさら筆者ごときが言うまでもない。
ムーミントロールという少年の友人だとしたら、未成年でどうしてパイプをくわえているのだろうかとか、アニメ版ではギターを持っていたのに原作では笛で、コミックではアコーディオンだったのはなぜだろうかとか、いろんな疑問が湧いてくるが、まあ、それもいい。
この垂れ幕を見ていると、スナフキンが、山頭火や牧水、芭蕉のように見えてくる。
しがらみの多いわたしたちにとって、旅から旅への生活をしている人は、あこがれの存在なのだ。
2014年9月6日(土)~11月9日(日)午前9時半~午後5時(入場~午後4時半)
道立文学館(札幌市中央区中島公園)
□STVの公式ページ http://www.stv.ne.jp/event/moomin/index.html
□ブログ「Viaggio~旅」(写真を多数のせています) http://mokkonotabi1955.blog92.fc2.com/blog-entry-957.html
□ムーミン公式サイト https://www.moomin.co.jp/ja