11月8日夜、この春亡くなった画家の藤野千鶴子さんを追悼する会が、札幌時計台ギャラリーで行われたので、出席してきた。
土曜夜、搬入が終わった会場を開放するのは、同ギャラリーとしてはかなり珍しい。
10~15日に同ギャラリーのA室とC室で開かれる追悼展(生前に予約されていた)の会場。
100人は来ていたと思う。
道内の女性画家を代表する存在で、たくさんの人と交流があっただけに、大勢が集まったのも納得できた。
来場すると、まず献花するよう促された。
事務局のKさんに「来賓はこちらへ」と言われ、5階の控え室に通された。
家人がまだ来ていないので2階の受付に戻ったが、新道展会員のYさんに、造花のついた名札をつけられた。会が始まると、佐藤友哉・札幌芸術の森美術館長や、美術評論家の吉田豪介さん、五十嵐恒さんなどの次に紹介されて、はなはだきまりが悪かった。
中央に飾られた写真は、札幌時計台ギャラリーのオーナー荒巻義雄さんが撮影したもの。
2013年、生前最後の個展で、会場(たしかD室だった)で撮ったという。
その左右にある色紙は、死の前日まで描いていた絵だ。
ホスピスに入る際、娘さんに紙と筆記用具を所望し、とりあえずダイソーで買ってきた紙だという。
荒巻さんのほか、阿部典英さんが弔辞を述べ、新道展事務局長の香取正人さんが献杯の音頭をとった。
また、スライドなどで故人をしのんだ。
最後には、娘のゆかりさん、りょうさんが「私は母が大好きでした」「余命3カ月と診断されてからその5倍も生き、死の前日まで絵を描いていた。あっぱれだと思います」とあいさつした。
この日、初めて知ったこともいくつかあった。
まず、藤野さんの出身地は上川管内東川町が正しいこと(一部の資料には旭川となっている)。
父親は床屋で、本人も理容師の免許を持っていること。
母親は短歌を詠み、東川町内に歌碑が建っていること。
高校時代は声楽の道に進むか、宝塚音楽学校への進学を希望していたが、親に反対され、NHK旭川局の放送合唱団にこっそり入っていたこと。
絵の才能も早くから発揮し、小学生時代に、魚屋の看板を描いたこと。
そして、この日会場に遅れて(JRが、白石駅で人身事故のため一時普通になっていたのである)到着した東川町長が、明らかにしたのが、藤野さんの作品を、東川町内に展示する計画があるということ。
すでに実施設計に入っており、2015年度から着工するというのだ。
どんな施設になるのかわからないが、完成したら、ぜひ足を運びたいと思う。
最後に、この会の実現にあたって奔走した、新道展の鈴木英明さんをはじめ、多くの関係者の皆さまに、お疲れさまでしたと言いたいです。
関連するページへのリンク
藤野千鶴子さん死去(札幌、画家)
■藤野千鶴子展 (2013)
■第41回美術文化北海道支部展 (2013)
北海道銀行のカレンダー
■藤野千鶴子展(2010年10月)
■藤野千鶴子展(2009年6月)
■ギャラリー山の手を彩った作家展 II (2009年2月)=画像なし
■第36回美術文化北海道支部展(2008年9月)
■藤野千鶴子展 北緯43°さくら前線札幌発(2008年5月)=画像なし
■SAPPORO IS WHITE(2008年6、7月)=画像なし
■07年10月の個展
■藤野千鶴子こんにちは展(07年)
■Finish and Begin 夕張市美術館の軌跡1979-2007、明日へ(2)=画像なし
■06年10-11月の個展
■美術文化北海道支部展(06年)
□STV北2条ビル エントランスアートのページ http://www.stvkohatu.co.jp/entransart/exhibition/0304/011fujinochizuko/fujinochizukom.html
■藤野千鶴子展(04年)
■藤野千鶴子展(03年10月)
■美術文化北海道支部展(03年、画像なし)
■藤野千鶴子個展(03年5月)
■藤野千鶴子展(02年10月)
■美術文化北海道支部展(01年、画像なし)
土曜夜、搬入が終わった会場を開放するのは、同ギャラリーとしてはかなり珍しい。
10~15日に同ギャラリーのA室とC室で開かれる追悼展(生前に予約されていた)の会場。
100人は来ていたと思う。
道内の女性画家を代表する存在で、たくさんの人と交流があっただけに、大勢が集まったのも納得できた。
来場すると、まず献花するよう促された。
事務局のKさんに「来賓はこちらへ」と言われ、5階の控え室に通された。
家人がまだ来ていないので2階の受付に戻ったが、新道展会員のYさんに、造花のついた名札をつけられた。会が始まると、佐藤友哉・札幌芸術の森美術館長や、美術評論家の吉田豪介さん、五十嵐恒さんなどの次に紹介されて、はなはだきまりが悪かった。
中央に飾られた写真は、札幌時計台ギャラリーのオーナー荒巻義雄さんが撮影したもの。
2013年、生前最後の個展で、会場(たしかD室だった)で撮ったという。
その左右にある色紙は、死の前日まで描いていた絵だ。
ホスピスに入る際、娘さんに紙と筆記用具を所望し、とりあえずダイソーで買ってきた紙だという。
荒巻さんのほか、阿部典英さんが弔辞を述べ、新道展事務局長の香取正人さんが献杯の音頭をとった。
また、スライドなどで故人をしのんだ。
最後には、娘のゆかりさん、りょうさんが「私は母が大好きでした」「余命3カ月と診断されてからその5倍も生き、死の前日まで絵を描いていた。あっぱれだと思います」とあいさつした。
この日、初めて知ったこともいくつかあった。
まず、藤野さんの出身地は上川管内東川町が正しいこと(一部の資料には旭川となっている)。
父親は床屋で、本人も理容師の免許を持っていること。
母親は短歌を詠み、東川町内に歌碑が建っていること。
高校時代は声楽の道に進むか、宝塚音楽学校への進学を希望していたが、親に反対され、NHK旭川局の放送合唱団にこっそり入っていたこと。
絵の才能も早くから発揮し、小学生時代に、魚屋の看板を描いたこと。
そして、この日会場に遅れて(JRが、白石駅で人身事故のため一時普通になっていたのである)到着した東川町長が、明らかにしたのが、藤野さんの作品を、東川町内に展示する計画があるということ。
すでに実施設計に入っており、2015年度から着工するというのだ。
どんな施設になるのかわからないが、完成したら、ぜひ足を運びたいと思う。
最後に、この会の実現にあたって奔走した、新道展の鈴木英明さんをはじめ、多くの関係者の皆さまに、お疲れさまでしたと言いたいです。
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■藤野千鶴子展 (2013)
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■藤野千鶴子展 北緯43°さくら前線札幌発(2008年5月)=画像なし
■SAPPORO IS WHITE(2008年6、7月)=画像なし
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■藤野千鶴子こんにちは展(07年)
■Finish and Begin 夕張市美術館の軌跡1979-2007、明日へ(2)=画像なし
■06年10-11月の個展
■美術文化北海道支部展(06年)
□STV北2条ビル エントランスアートのページ http://www.stvkohatu.co.jp/entransart/exhibition/0304/011fujinochizuko/fujinochizukom.html
■藤野千鶴子展(04年)
■藤野千鶴子展(03年10月)
■美術文化北海道支部展(03年、画像なし)
■藤野千鶴子個展(03年5月)
■藤野千鶴子展(02年10月)
■美術文化北海道支部展(01年、画像なし)