8、9日はひさびさの正統派? の週末。
会社に行く用事がまったくなかったのだ。
振り返ってみれば、先週は土、日曜ともギャラリーまわりをしてから出社するというパターンだったし、その前の7月25日は仕事だったし、さらにその前はJOIN ALIVE に出かけていて、まる一日美術鑑賞ですごせたのは、じつに7月17日以来なのだ。
空模様も夏らしくて、ギャラリーまわり日和だった。
まず、道立文学館で「開館20周年特別展 挿絵の美・大衆文化の黄金時代―大正イマジュリィの世界」を見る。
展覧会自体は9月6日まで開かれているが、8月9日を境に前期と後期にわかれ、全展示作が入れ替わるというので、あわてて訪れたのだ。
「開館20周年」とあるものの、キャプションなどに北海道を意識した記述は全くなく、全国各地を巡回している展覧会と思われる。
内容はたいへん興味深かった。
あの展示室は、タブロー(絵画)の展覧会にはいささか小さすぎるのだが、本や版画などはちょうどいい。
作者別ではやはり、大正期の出版界で大活躍した竹久夢二が多い。
あの、少女マンガの源流のような、なよっとした女の子の絵ばかりではない。楽譜の表紙、構成主義的な雑誌や「婦人グラフ」誌の表紙、便箋デザインなど、八面六臂の活躍ぶりである。
そう。絵はがきや便箋など、本屋ではなく文具屋で買うもののデザインもけっこうある。女の子は昔からファンシー文具が好きだったんですね。
高橋春佳の絵はがきにこんな文句が書かれていた。
初夢の枕元に
健康と幸いの鍵が
をかれてあつたでせう?
ことしも仲よくネ 元旦
返し。
晴々しい朝ですこと 元旦だ
なんて青くさいけどやつぱり
うれしゅうご座いますわね
初夢をお送り致しませうか
出品者には、このほか蕗谷虹児や武井武雄といった出版の世界で活躍する人と、もともと画家として知られ、出版はおそらく糊口をしのぐための副業として携わっていたとおぼしき人がいる。後者は、小村雪岱、石井鶴三、木村荘八、橋口五葉らだ。
橋口の、漱石「草合」の装丁は、ハスや桜、青海波といった意匠を組み合わせた美しいものだった(ただし「草合」という書物が、大漱石としては、聞き慣れない)。
また、先鋭的な日本画家としてならした川端龍子が雑誌のデザインを手がけていたのも意外だった。
一番の意外は、デュフィの「鏡に這入る女」という文字だろうか。
中河与一の書名だが、日本語の題をフランス人画家に書かせようという中河の発想にはたまげてしまう。
ただ、大正から昭和戦前期というのは、日本の歴史の中でも、都市と地方の格差が最大級に広がっていた時期だと思う。
岡村帰一「ワタシノオモチャ」には、くまのぬいぐるみや電車などおびただしいおもちゃに埋もれた子供部屋が描かれているが、地方では、兵児帯を締め、既製品のおもちゃはなく、自然の中で遊んでいる子どもたちが普通にいたのだ。
この展覧会全体が、おもしろいけれど、どこかよそよそしい感じがするのは、この格差問題が背景にあるからなんだろう。
あと、「イマジュリィ」という語が聞き慣れない。ここは「イメージ」や「イマージュ」で、何か都合が悪いのだろうか。
(この項続く)
会社に行く用事がまったくなかったのだ。
振り返ってみれば、先週は土、日曜ともギャラリーまわりをしてから出社するというパターンだったし、その前の7月25日は仕事だったし、さらにその前はJOIN ALIVE に出かけていて、まる一日美術鑑賞ですごせたのは、じつに7月17日以来なのだ。
空模様も夏らしくて、ギャラリーまわり日和だった。
まず、道立文学館で「開館20周年特別展 挿絵の美・大衆文化の黄金時代―大正イマジュリィの世界」を見る。
展覧会自体は9月6日まで開かれているが、8月9日を境に前期と後期にわかれ、全展示作が入れ替わるというので、あわてて訪れたのだ。
「開館20周年」とあるものの、キャプションなどに北海道を意識した記述は全くなく、全国各地を巡回している展覧会と思われる。
内容はたいへん興味深かった。
あの展示室は、タブロー(絵画)の展覧会にはいささか小さすぎるのだが、本や版画などはちょうどいい。
作者別ではやはり、大正期の出版界で大活躍した竹久夢二が多い。
あの、少女マンガの源流のような、なよっとした女の子の絵ばかりではない。楽譜の表紙、構成主義的な雑誌や「婦人グラフ」誌の表紙、便箋デザインなど、八面六臂の活躍ぶりである。
そう。絵はがきや便箋など、本屋ではなく文具屋で買うもののデザインもけっこうある。女の子は昔からファンシー文具が好きだったんですね。
高橋春佳の絵はがきにこんな文句が書かれていた。
初夢の枕元に
健康と幸いの鍵が
をかれてあつたでせう?
ことしも仲よくネ 元旦
返し。
晴々しい朝ですこと 元旦だ
なんて青くさいけどやつぱり
うれしゅうご座いますわね
初夢をお送り致しませうか
出品者には、このほか蕗谷虹児や武井武雄といった出版の世界で活躍する人と、もともと画家として知られ、出版はおそらく糊口をしのぐための副業として携わっていたとおぼしき人がいる。後者は、小村雪岱、石井鶴三、木村荘八、橋口五葉らだ。
橋口の、漱石「草合」の装丁は、ハスや桜、青海波といった意匠を組み合わせた美しいものだった(ただし「草合」という書物が、大漱石としては、聞き慣れない)。
また、先鋭的な日本画家としてならした川端龍子が雑誌のデザインを手がけていたのも意外だった。
一番の意外は、デュフィの「鏡に這入る女」という文字だろうか。
中河与一の書名だが、日本語の題をフランス人画家に書かせようという中河の発想にはたまげてしまう。
ただ、大正から昭和戦前期というのは、日本の歴史の中でも、都市と地方の格差が最大級に広がっていた時期だと思う。
岡村帰一「ワタシノオモチャ」には、くまのぬいぐるみや電車などおびただしいおもちゃに埋もれた子供部屋が描かれているが、地方では、兵児帯を締め、既製品のおもちゃはなく、自然の中で遊んでいる子どもたちが普通にいたのだ。
この展覧会全体が、おもしろいけれど、どこかよそよそしい感じがするのは、この格差問題が背景にあるからなんだろう。
あと、「イマジュリィ」という語が聞き慣れない。ここは「イメージ」や「イマージュ」で、何か都合が悪いのだろうか。
(この項続く)