0.前置き
道内にいくつも存在する団体公募展のうち、全道展、道展、新道展が、それぞれ創立70年、90年、60年の節目の年を迎え、順次、道立近代美術館で記念の展覧会を開いているが、トップバッターの全道展の記念展では、関連行事として、美術ジャーナリストの村田真さんの講演会を行った(引き続き、会員による素人演劇もあったが、筆者は見ていないし、この項の本題に関係ないので省略する)。
(そもそも団体公募展とはどういうものかについては、このブログの代表的なロングテール・エントリである「「全道展」と「道展」ってちがうの? という人のためのテキスト」をお読みください)
村田真さんは「現代美術の人」というイメージがあったため、さぞかし痛烈な団体公募展批判が聞かれるのではないかと期待して会場に出向いたのだが、実際の講演内容は、日展やフランスのサロンの歴史を主軸に置いた一般論的なもので、多少発展しても、二科展が話題づくりにたくみであることの批判であったりして、個人的には
「う~、知ってることばかりだなあ」
と、いささか肩透かしをくらった印象を抱いたことは否めない。
まあ、村田さんが北海道の団体公募展の事情について詳しいとは思えないし、日展は毎年足を運んでいるようであるが、それ以外の団体公募展を見ているわけでもないようなので、あまり多くを期待するのは酷であろう。
(そもそも、いまや現代美術系と団体公募展系は、発表場所も人脈も完全に没交渉なほど別の世界になっており、村田さんが日展を見ているというだけで、相当珍しいことであると思う)
1.「ウエーブ」欄での批判
…と思っていたら、村田さんが、11月16日の北海道新聞朝刊文化面「ウエーブ 美術」欄に、全道展70周年記念企画展を題材に、突っ込んだ批判をしていた。
「講演後もっと辛口の意見を聞きたいとの声があったので」書いたとのことだから、辛口の意見を求めた全道展関係者も、それに応えた村田さんも、えらいと思う。
ただ、批判の内容については、これまた肩透かしという印象をおぼえたことは、否定できない。
だいたいにして、
「まず第一に、なんでこんなに作品をギュー詰めにするのか」
「第二に、なぜいまどき絵画に額縁をつけるのか」
というのは、批判としてムチャである。
作品が多くてギュー詰めになっているから額縁をつけざるを得ないのではないのか。
さらにいうなら、この批判については「まずそれをいうのかよ」という念を禁じえない。
いや、この手のことを言う人って、村田さんだけじゃなくて、よく見ると実はけっこう多いんですよ。
話はそれますが、たとえば、書道や写真も含めたこの種の公募展で、審査する側の講評会って時々会場で開かれるんですよね。わたしも初心者ですからね、勉強しようと思って殊勝な心がけで(?)出かけていくわけですよ。そしたら、まずえらい先生が何を言うかというと…。
いわく
落款の位置が悪いね。
写真はいいけど、題の付けかたが惜しいね。
サインは左下より右下のほうがいいんじゃない?
ほんとなんだって。
こういうオヤジ、すんげー多いんだって(少なくても自分の経験では)。
こいつらさ、えらそうなくせして、中身のことをちゃんと批評できる自信がないんだよ。
こんなのが、審査してるんだと思うと、がっかりするぜ、まったく。
問題は、中身だろ、中身。
もちろん、村田さんは、そこまでひどいわけではなく、中身についても説き及んでいる。
講演でも触れたが、なぜ作品が現代社会を反映していないのか。画家や彫刻家は社会問題にはほっかむりで、のどかな農村風景や裸婦像を描いていればいいのだろうか。もちろん原発事故が起きたからといって、みんなが原発問題をテーマにしなければならないわけではないし、むしろそんな同調圧力こそ危険だと思うが、それにしてもあまりに時代や社会から目を背けていないか。
この部分については、第一、第二の瑣末な批判に比べれば、はるかにまともであり、さもありなんとひざを打った人も多いのではないだろうか。
筆者もこの意見にはかなりの程度まで首肯できる。
その上で、あえて言いたい。
「なぜ作品が現代社会を反映しなくてはいけないのか」と。
2.「何を描くか」対「どう描くか」
かつての西洋で絵画に順列があったことは、よく知られているだろう。
歴史や神話を描いた絵が上位で、風景や静物の絵は下位とされた。絵のえらさを決めるのは、絵の巧拙ではなく、題材であったのだ。
美術は、ことばや思想のしもべであった。
いま、古い美術に、ことばや思想を超える美を見るのは、21世紀の私たちの見方であり、当時からそのように美術を見ていたわけではない。たとえば、エル・グレコの筆使いにわたしたちは感心するけれど、彼はその筆使いが疎まれて、しばらく忘れられていた画家であった。
「何を描くか」という問題から絵が自立して「いかに描くか」が中心的な問題として浮上したのは、大まかにいえば、印象派以後のことであり、それほど古いことではない。
印象派以後、題材や素材は、単なる方便にすぎなくなった。
たとえば、ピカソは、テーブルの上のフライパンやランプを描いたが、それが皿やバイオリンであってもほとんど何の問題もないし、フライパンやランプであることには何の意味もない。意味があるのは、それらの形状であり、次に色である(キュビスムの場合は形のほうが色よりも重要である)。
画家は純粋な美を追求する存在であって、美の外側にある余計な要素に煩わされるべきではない。
これこそが、印象派以降の「モダン」な芸術の基本的な立場であろう。
団体公募展の多くが、美術家・画家の「自治」で運営されており、外部の批評家などの力を借りないことを旨としている理由も、同じ地平にあるだろう。
純粋な美を追求する以上は、外部の言説は余計なのである。画家は、日本語や英語のような言語ではなく、美の言語をもって作品に対峙し、それを読み取る。
線、形、色。ヴァルール、マチエール。絵画であれば、ほんとうに必要なのは、そういったものだけだ。
とまあ、こういうわけである。
このような立場からは、原発とか戦争とかは、美の世界の外側のことなのである。
純粋な美の追求。
とてもすばらしいことのように思えるが、実はそうでもない。
人間は誰でも現実社会を生きている。
だから、現実社会から切り離された美の殿堂に向き合っていると、案外早いうちに飽きるのである。
そして、現実とはいっさい関係ないはずの裸婦や花瓶に、現実との接点を見てしまうのである。
と同時に、作る側も、かすみを食って生きているのではないのだから、どこかで現実を生きているのである。
だとしたら、現実とは無関係に美を追求するという方法論は、うそくさいのではないだろうか、という疑問は当然沸き起こってくるだろう。
もうひとつ、団体公募展に即して言えば、全会員が、聖人のような美の使徒であるなら何ら問題も起きないのだろうが、実際には、派閥づくりや権力闘争が好きな人もいて、話をややこしくしていった(=団体公募展を不純なものにしていった)。それに、多くの人が「この会員の作品はすごい。この人の言うことを聞いていこう」と思ったとしても、はたから見たら、単なるボス支配にしか見えないことだってあるだろう。
3.モダンとコンテンポラリー
歴史的(日本の美術史的)にみても、印象派以後のモダンアートとともに成長してきたのが団体公募展であるといえる。
それに対し、美の追求よりも、現実の世界とのかかわりに再び焦点を当てたアートが、現代の美術である。
これは
1) インスタレーションやビデオアート、双方向アートなど、団体公募展の陳列方法ではカバーしきれない表現方法が急激に増えた
2) ある程度価値観が共有できるモダンアートに比べ、ほとんど作家の数だけ価値観に違いが出てきた
3) 現代社会の問題と結びつけるために言説(を組織する)の専門家(キュレーター)の役割が増した
という理由によって、団体公募展の枠にはおさまらないアートだということができる。
ただし、団体公募展の評価が先輩や同僚の作り手によってなされていた、いわば「ミュージシャンズミュージシャン」的なものであったのに対し、現代美術の世界では、キュレーターの言説と、市場価格が、作家と作品を値踏みする座標軸となる。
それって、はっきりいって、どっちがいいのかわかんないのである。
作家にとっても、見る側にとっても、美術史にとっても。
(少なくても、市場の専制が良いことだとは、筆者にはとても思えない)
ただ、美術史を巨視的にみると、純粋な美を追求するモダンアートは、フロンティアを失って自閉しているのはまちがいない。
ぶっちゃけ言いかえると、新しい表現なんて、そんなにないってことだ。
デュシャン以後、「いかに描くか」は後景に退き、アイデアとコンセプトを第一義とするコンテンポラリーアート(現代美術)がのし上がってきた。そこには、スキルを問われる職人芸が幅を利かす余地は乏しい。
こちらは、モダンアートに比べれば、現実社会が変化していくぶん、ネタ切れの心配はない。アビチャッポンなどのおかげで、領野自体が、デュシャン時代からみても、ずいぶんと拡大している。
4.おまけ
最後に、1. の引用文に戻ろう。
「のどかな農村風景や裸婦像を描いて」る人って、全道展にいましたっけ?
裸婦ねえ~。
記憶にないなあ。
(見落としていたら、すみません。図版の載った図録が無いので、確かめようがないのです)
道内にいくつも存在する団体公募展のうち、全道展、道展、新道展が、それぞれ創立70年、90年、60年の節目の年を迎え、順次、道立近代美術館で記念の展覧会を開いているが、トップバッターの全道展の記念展では、関連行事として、美術ジャーナリストの村田真さんの講演会を行った(引き続き、会員による素人演劇もあったが、筆者は見ていないし、この項の本題に関係ないので省略する)。
(そもそも団体公募展とはどういうものかについては、このブログの代表的なロングテール・エントリである「「全道展」と「道展」ってちがうの? という人のためのテキスト」をお読みください)
村田真さんは「現代美術の人」というイメージがあったため、さぞかし痛烈な団体公募展批判が聞かれるのではないかと期待して会場に出向いたのだが、実際の講演内容は、日展やフランスのサロンの歴史を主軸に置いた一般論的なもので、多少発展しても、二科展が話題づくりにたくみであることの批判であったりして、個人的には
「う~、知ってることばかりだなあ」
と、いささか肩透かしをくらった印象を抱いたことは否めない。
まあ、村田さんが北海道の団体公募展の事情について詳しいとは思えないし、日展は毎年足を運んでいるようであるが、それ以外の団体公募展を見ているわけでもないようなので、あまり多くを期待するのは酷であろう。
(そもそも、いまや現代美術系と団体公募展系は、発表場所も人脈も完全に没交渉なほど別の世界になっており、村田さんが日展を見ているというだけで、相当珍しいことであると思う)
1.「ウエーブ」欄での批判
…と思っていたら、村田さんが、11月16日の北海道新聞朝刊文化面「ウエーブ 美術」欄に、全道展70周年記念企画展を題材に、突っ込んだ批判をしていた。
「講演後もっと辛口の意見を聞きたいとの声があったので」書いたとのことだから、辛口の意見を求めた全道展関係者も、それに応えた村田さんも、えらいと思う。
ただ、批判の内容については、これまた肩透かしという印象をおぼえたことは、否定できない。
だいたいにして、
「まず第一に、なんでこんなに作品をギュー詰めにするのか」
「第二に、なぜいまどき絵画に額縁をつけるのか」
というのは、批判としてムチャである。
作品が多くてギュー詰めになっているから額縁をつけざるを得ないのではないのか。
さらにいうなら、この批判については「まずそれをいうのかよ」という念を禁じえない。
いや、この手のことを言う人って、村田さんだけじゃなくて、よく見ると実はけっこう多いんですよ。
話はそれますが、たとえば、書道や写真も含めたこの種の公募展で、審査する側の講評会って時々会場で開かれるんですよね。わたしも初心者ですからね、勉強しようと思って殊勝な心がけで(?)出かけていくわけですよ。そしたら、まずえらい先生が何を言うかというと…。
いわく
落款の位置が悪いね。
写真はいいけど、題の付けかたが惜しいね。
サインは左下より右下のほうがいいんじゃない?
ほんとなんだって。
こういうオヤジ、すんげー多いんだって(少なくても自分の経験では)。
こいつらさ、えらそうなくせして、中身のことをちゃんと批評できる自信がないんだよ。
こんなのが、審査してるんだと思うと、がっかりするぜ、まったく。
問題は、中身だろ、中身。
もちろん、村田さんは、そこまでひどいわけではなく、中身についても説き及んでいる。
講演でも触れたが、なぜ作品が現代社会を反映していないのか。画家や彫刻家は社会問題にはほっかむりで、のどかな農村風景や裸婦像を描いていればいいのだろうか。もちろん原発事故が起きたからといって、みんなが原発問題をテーマにしなければならないわけではないし、むしろそんな同調圧力こそ危険だと思うが、それにしてもあまりに時代や社会から目を背けていないか。
この部分については、第一、第二の瑣末な批判に比べれば、はるかにまともであり、さもありなんとひざを打った人も多いのではないだろうか。
筆者もこの意見にはかなりの程度まで首肯できる。
その上で、あえて言いたい。
「なぜ作品が現代社会を反映しなくてはいけないのか」と。
2.「何を描くか」対「どう描くか」
かつての西洋で絵画に順列があったことは、よく知られているだろう。
歴史や神話を描いた絵が上位で、風景や静物の絵は下位とされた。絵のえらさを決めるのは、絵の巧拙ではなく、題材であったのだ。
美術は、ことばや思想のしもべであった。
いま、古い美術に、ことばや思想を超える美を見るのは、21世紀の私たちの見方であり、当時からそのように美術を見ていたわけではない。たとえば、エル・グレコの筆使いにわたしたちは感心するけれど、彼はその筆使いが疎まれて、しばらく忘れられていた画家であった。
「何を描くか」という問題から絵が自立して「いかに描くか」が中心的な問題として浮上したのは、大まかにいえば、印象派以後のことであり、それほど古いことではない。
印象派以後、題材や素材は、単なる方便にすぎなくなった。
たとえば、ピカソは、テーブルの上のフライパンやランプを描いたが、それが皿やバイオリンであってもほとんど何の問題もないし、フライパンやランプであることには何の意味もない。意味があるのは、それらの形状であり、次に色である(キュビスムの場合は形のほうが色よりも重要である)。
画家は純粋な美を追求する存在であって、美の外側にある余計な要素に煩わされるべきではない。
これこそが、印象派以降の「モダン」な芸術の基本的な立場であろう。
団体公募展の多くが、美術家・画家の「自治」で運営されており、外部の批評家などの力を借りないことを旨としている理由も、同じ地平にあるだろう。
純粋な美を追求する以上は、外部の言説は余計なのである。画家は、日本語や英語のような言語ではなく、美の言語をもって作品に対峙し、それを読み取る。
線、形、色。ヴァルール、マチエール。絵画であれば、ほんとうに必要なのは、そういったものだけだ。
とまあ、こういうわけである。
このような立場からは、原発とか戦争とかは、美の世界の外側のことなのである。
純粋な美の追求。
とてもすばらしいことのように思えるが、実はそうでもない。
人間は誰でも現実社会を生きている。
だから、現実社会から切り離された美の殿堂に向き合っていると、案外早いうちに飽きるのである。
そして、現実とはいっさい関係ないはずの裸婦や花瓶に、現実との接点を見てしまうのである。
と同時に、作る側も、かすみを食って生きているのではないのだから、どこかで現実を生きているのである。
だとしたら、現実とは無関係に美を追求するという方法論は、うそくさいのではないだろうか、という疑問は当然沸き起こってくるだろう。
もうひとつ、団体公募展に即して言えば、全会員が、聖人のような美の使徒であるなら何ら問題も起きないのだろうが、実際には、派閥づくりや権力闘争が好きな人もいて、話をややこしくしていった(=団体公募展を不純なものにしていった)。それに、多くの人が「この会員の作品はすごい。この人の言うことを聞いていこう」と思ったとしても、はたから見たら、単なるボス支配にしか見えないことだってあるだろう。
3.モダンとコンテンポラリー
歴史的(日本の美術史的)にみても、印象派以後のモダンアートとともに成長してきたのが団体公募展であるといえる。
それに対し、美の追求よりも、現実の世界とのかかわりに再び焦点を当てたアートが、現代の美術である。
これは
1) インスタレーションやビデオアート、双方向アートなど、団体公募展の陳列方法ではカバーしきれない表現方法が急激に増えた
2) ある程度価値観が共有できるモダンアートに比べ、ほとんど作家の数だけ価値観に違いが出てきた
3) 現代社会の問題と結びつけるために言説(を組織する)の専門家(キュレーター)の役割が増した
という理由によって、団体公募展の枠にはおさまらないアートだということができる。
ただし、団体公募展の評価が先輩や同僚の作り手によってなされていた、いわば「ミュージシャンズミュージシャン」的なものであったのに対し、現代美術の世界では、キュレーターの言説と、市場価格が、作家と作品を値踏みする座標軸となる。
それって、はっきりいって、どっちがいいのかわかんないのである。
作家にとっても、見る側にとっても、美術史にとっても。
(少なくても、市場の専制が良いことだとは、筆者にはとても思えない)
ただ、美術史を巨視的にみると、純粋な美を追求するモダンアートは、フロンティアを失って自閉しているのはまちがいない。
ぶっちゃけ言いかえると、新しい表現なんて、そんなにないってことだ。
デュシャン以後、「いかに描くか」は後景に退き、アイデアとコンセプトを第一義とするコンテンポラリーアート(現代美術)がのし上がってきた。そこには、スキルを問われる職人芸が幅を利かす余地は乏しい。
こちらは、モダンアートに比べれば、現実社会が変化していくぶん、ネタ切れの心配はない。アビチャッポンなどのおかげで、領野自体が、デュシャン時代からみても、ずいぶんと拡大している。
4.おまけ
最後に、1. の引用文に戻ろう。
「のどかな農村風景や裸婦像を描いて」る人って、全道展にいましたっけ?
裸婦ねえ~。
記憶にないなあ。
(見落としていたら、すみません。図版の載った図録が無いので、確かめようがないのです)