誰かが言ってた。
「日本人は印象派が好きで、印象派の美術展には長い行列ができる」
それは、15年前の認識だ。
近年、東京や関西で開かれて多くの観客を集める美術展は、ほとんどが日本美術を扱ったものだ。
ユトリロだ、ゴッホだといって集客を図っているのは、北海道が田舎だからである。
田舎で悪ければ、もともと日本美術について受容する素地に乏しいため、主催者が、集客にあたって自信を持てないのだろう。近くに、日本美術を所蔵する施設がほとんどないことも一因だと思われる。
ことしの春、札幌芸術の森美術館で、歌川国芳展が記録的な動員をみせ、北海道博物館の夷衆列像展が予想を上回る好評を得たのは、東京の動向がようやく道内にも上陸したことを示したものだといえる。
この本は、「日本美術応援団」(ちくま文庫、赤瀬川原平との共著)以来、日本美術の普及に努めてきた山下裕二氏(明治学院大教授)に、NHKテレビの深夜のニュースなどでもおなじみのエディター、ライターの橋本麻里さんがインタビューしたものである。
日本美術の見方を、話し言葉で伝えているだけに、ごくわかりやすい。
そして、山下さんが、へたに教科書的な路線をとらず、好きなものは好き、きらいなものはきらい、という姿勢を貫いていることが、読んでいて非常に心地よい。
たとえば、何億円もするロスコの絵を宅配便で送りつけてこられても「迷惑だ」と断言している。
捨てるのだってお金がかかる。あのロンドンのテート・モダンのロスコにうっとりしている自分に酔いたい人が、ロスコのことを語り続けているんですよ、きっと。だって二色に塗り分けてるだけじゃん(笑)。
こういう暴言、好きだなあ。
筆者も、ロスコよりは、今荘義男さんの絵のほうが上等だと思っているけどね。
これより前の部分では、ほんとにいいこと言ってる。
まず、「わからない」ことをコンプレックスと感じない。そして「わからなきゃいけない」という思い込みを捨てることです。虚心坦懐きょしんたんかいに作品と向き合う。それから、たくさん見るという体験がやはり必要です。たくさん見ないと、他との比較ができないわけですから。
ほかにも、もっと自分勝手に見てもよい、とか、わびさびは桃山の絢爛があるからこそ成り立つ、とか、名言びしばしである。
筆者がひそかに最も笑える日本語の美術書であると認定している、秋山祐徳太子「泡沫桀人列伝 知られざる超前衛」にもちゃんと言及しているところがすばらしい。
もっとも、後半は、「日本美術との出会い方」と題して、山下さんの個人史と重ね合わせるようなかたちで、体験的に日本美術を語るというスタイルをとっているから、部分的には自慢話モードになっているのはやむを得まい。
当初は現代美術なんてまったく興味のなかった山下氏が、会田誠と出会うことで、その世界に近接していくというのは、なかなかスリリングであったりする。
平易な「日本美術入門」として、おすすめできる。少なくても、なんとなくわかるような気がするけれど、論理的に整理しようとするとよくわからない部分が残る「日本美術応援団」よりは、こちらのほうがわかりやすいと、筆者は考える。
ところで、この本をブログで取り上げたのは、中身もさることながら、表紙カバーを飾るのが、札幌の日本画家、蒼野甘夏さんの作品(「ビル風赤松図」)であるからに他ならない。
この絵について、山下氏は
日本画ならではの線の魅力があり、かつ構図は大胆でポップ。筆ネイティブたちの古い日本画の魅力的なエッセンスを現代的に昇華して取り入れている作品
と評価している。ただ、甘夏をペンネームだと思っておられるようである。
発行:集英社インターナショナル
発売:集英社
定価1600円+税
2015年10月31日発行
「日本人は印象派が好きで、印象派の美術展には長い行列ができる」
それは、15年前の認識だ。
近年、東京や関西で開かれて多くの観客を集める美術展は、ほとんどが日本美術を扱ったものだ。
ユトリロだ、ゴッホだといって集客を図っているのは、北海道が田舎だからである。
田舎で悪ければ、もともと日本美術について受容する素地に乏しいため、主催者が、集客にあたって自信を持てないのだろう。近くに、日本美術を所蔵する施設がほとんどないことも一因だと思われる。
ことしの春、札幌芸術の森美術館で、歌川国芳展が記録的な動員をみせ、北海道博物館の夷衆列像展が予想を上回る好評を得たのは、東京の動向がようやく道内にも上陸したことを示したものだといえる。
この本は、「日本美術応援団」(ちくま文庫、赤瀬川原平との共著)以来、日本美術の普及に努めてきた山下裕二氏(明治学院大教授)に、NHKテレビの深夜のニュースなどでもおなじみのエディター、ライターの橋本麻里さんがインタビューしたものである。
日本美術の見方を、話し言葉で伝えているだけに、ごくわかりやすい。
そして、山下さんが、へたに教科書的な路線をとらず、好きなものは好き、きらいなものはきらい、という姿勢を貫いていることが、読んでいて非常に心地よい。
たとえば、何億円もするロスコの絵を宅配便で送りつけてこられても「迷惑だ」と断言している。
捨てるのだってお金がかかる。あのロンドンのテート・モダンのロスコにうっとりしている自分に酔いたい人が、ロスコのことを語り続けているんですよ、きっと。だって二色に塗り分けてるだけじゃん(笑)。
こういう暴言、好きだなあ。
筆者も、ロスコよりは、今荘義男さんの絵のほうが上等だと思っているけどね。
これより前の部分では、ほんとにいいこと言ってる。
まず、「わからない」ことをコンプレックスと感じない。そして「わからなきゃいけない」という思い込みを捨てることです。虚心坦懐きょしんたんかいに作品と向き合う。それから、たくさん見るという体験がやはり必要です。たくさん見ないと、他との比較ができないわけですから。
ほかにも、もっと自分勝手に見てもよい、とか、わびさびは桃山の絢爛があるからこそ成り立つ、とか、名言びしばしである。
筆者がひそかに最も笑える日本語の美術書であると認定している、秋山祐徳太子「泡沫桀人列伝 知られざる超前衛」にもちゃんと言及しているところがすばらしい。
もっとも、後半は、「日本美術との出会い方」と題して、山下さんの個人史と重ね合わせるようなかたちで、体験的に日本美術を語るというスタイルをとっているから、部分的には自慢話モードになっているのはやむを得まい。
当初は現代美術なんてまったく興味のなかった山下氏が、会田誠と出会うことで、その世界に近接していくというのは、なかなかスリリングであったりする。
平易な「日本美術入門」として、おすすめできる。少なくても、なんとなくわかるような気がするけれど、論理的に整理しようとするとよくわからない部分が残る「日本美術応援団」よりは、こちらのほうがわかりやすいと、筆者は考える。
ところで、この本をブログで取り上げたのは、中身もさることながら、表紙カバーを飾るのが、札幌の日本画家、蒼野甘夏さんの作品(「ビル風赤松図」)であるからに他ならない。
この絵について、山下氏は
日本画ならではの線の魅力があり、かつ構図は大胆でポップ。筆ネイティブたちの古い日本画の魅力的なエッセンスを現代的に昇華して取り入れている作品
と評価している。ただ、甘夏をペンネームだと思っておられるようである。
発行:集英社インターナショナル
発売:集英社
定価1600円+税
2015年10月31日発行