(承前)
「Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演」展 | 東京国立近代美術館
1.展覧会の概要
2.会場の様子
3.展覧会の意義
の3部構成で書く。
そこそこ長文ですが、よろしくお願いします。
1.展覧会の概要
これについては、東京国立近代美術館のアーカイブページ( http://www.momat.go.jp/archives/am/exhibition/replay/index.htm )を見るのがいちばん早いと思うが、ここにもかいつまんで書く。
タイトルに「リプレイ」「再演」とあるとおり、1972年に京都市美術館で開かれた「映像表現 '72」という展覧会を、可能な限り忠実に再現したもの。
わずか1週間という会期だったが、顔ぶれがすごい。
石原薫、今井祝雄、植松奎二、植村義夫、柏原えつとむ、河口龍夫、庄司達、長澤英俊、野村仁、彦坂尚嘉、松本正司、宮川憲明、村岡三郎、山中信夫、山本圭吾、米津茂英
日本のコンセプチュアルアートの原点ともいえる河口龍夫や、重厚な抽象彫刻で知られる村岡三郎、中原悌二郎賞を受けた植松奎二、そして野村仁、彦坂尚嘉、柏原えつとむといった重要な作家が含まれているので、筆者ものぞいてみたのである。
1960~70年代は、アートの世界に、映像による表現が進出してきた黎明期といえる。
ただし、ほとんどは、ホールや映画館で作品が次々上映されるという形式で、会場内にいくつも映写機やモニターを置いて、どこからでも自由に見られるという(現在では当たり前となっている)スタイルの展覧会は、世界的にみても、1972年当時は非常に劃期かっき的だったらしい。
しかし、これを忠実に再現するのは、詳細な図面がのこっているわけでもなく、相当に大変だったらしい。
所蔵する絵画を、当時の記録のままに並べなおすのであれば、ほとんど苦労はないだろう。
だが、そもそも作品がない場合が多い。
ハードの部分でも、8ミリ映写機などは、すでに生産中止となってひさしく、動くものをさがすだけで一苦労であろう。
今回は、8ミリフィルムの複製にも挑んだという。
さいわい、当時の記録写真(もちろんモノクロ)と、くわしい展評(美術手帖1972年12月号)が残っており、それをもとに、各作品の配置と展示内容を割り出して、8割か9割のスケールで、作品を配置しなおしたという。ただし、どうしても作品が見つからない場合は、記録写真を貼るだけにとどめた。
もうひとつ、この展覧会のユニークな点は会場が漢字の「回」のように設営されていること。
まんなかの四角の中に、往時の展覧会を再現し、その外側の回廊部分に、43年前の資料を展示したり、現存者のインタビュー映像を流したりしているのである。
つまり、一種の入れ子構造になっていて、外側の部分も充実しているのだ。
映像作品の多くは、外の回廊部分でも、液晶モニターで見ることができるようになっている。
2.会場のようす
8ミリフィルムをエンドレスで上映させるため、天井から床までをフィルムが這い回っている。貴重なフィルムなので、これも複製したのだろう。
作品としては( http://www.momat.go.jp/am/wp-content/uploads/sites/3/2015/11/cd9d6d837f61988e791dfe51089cb0e5.pdf )、フィルムの残渣を山積みにし、そこから抜いた映像をスライドプロジェクター(これも、パソコンが主流となったこの15年ほどはあまり見なくなったなあ!)で順次投影する今井祝雄、「足を洗いましょう」「足から洗いましょう」「足は洗いましょう」などの短い文章が書かれた壁に、それぞれ同じ、足を洗っているカラー映像を投影させた柏原えつとむなどが印象に残った。
後者は、映像は同じなのに、テキストは微妙に異なっている。日本語のニュアンスのわずかな違いを、映像は表現できないということを、あらためて認識させられる。
山中信夫は、板で巨大なピンホールカメラを作り、中に人が入れるという仕組み。
並んで中に入ったら、もちろん真っ暗で、ようやく目が慣れてきたと思ったら、外にいた係の人から、そろそろ出てくださいとノックされた。
あと、作者名がわからないのだが、表裏に映像が投影されていて、片側には、屋外に設置されている扉がえんえんと移されていて、その反対側には、扉から男が出てきてこちらに向かって歩きだし数十秒後には背中を向けて反対側に歩いていって扉の向こう側に消える―という映像を繰り返す、という作品がおもしろかった。
3.展覧会の意義
これに限らず最近、全国的に、1970年前後の「熱い季節」を振り返る本格的な企画が多いように思う。
もちろん、面白い時代であるということが最大の動機だろうが、それ以上に、当時の関係者が高齢化してきて、インタビューなどで当時を知る最後の機会になりつつあるという事情もある。
また、今回の8ミリフィルムのように、ほうっておくとホントに、(技術的な問題で)再生困難になってしまう作品が少なくないというのも、理由のひとつだろう。
しかし、北海道では、この種の動きはほとんどない。
道立近代美術館では、戦前を回顧する展覧会は開かれるが、戦後の時代を振り返る企画は皆無である。
たとえば「帰ってきたダダっ子展」などを再現するとか、「テトラハウスと川俣正の出発」とか、テーマはいくらでもあると思うんだが…。
関係者の皆さん、そろそろ考えてみるべきときではないでしょうか。
(この項続く)
「Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演」展 | 東京国立近代美術館
1.展覧会の概要
2.会場の様子
3.展覧会の意義
の3部構成で書く。
そこそこ長文ですが、よろしくお願いします。
1.展覧会の概要
これについては、東京国立近代美術館のアーカイブページ( http://www.momat.go.jp/archives/am/exhibition/replay/index.htm )を見るのがいちばん早いと思うが、ここにもかいつまんで書く。
タイトルに「リプレイ」「再演」とあるとおり、1972年に京都市美術館で開かれた「映像表現 '72」という展覧会を、可能な限り忠実に再現したもの。
わずか1週間という会期だったが、顔ぶれがすごい。
石原薫、今井祝雄、植松奎二、植村義夫、柏原えつとむ、河口龍夫、庄司達、長澤英俊、野村仁、彦坂尚嘉、松本正司、宮川憲明、村岡三郎、山中信夫、山本圭吾、米津茂英
日本のコンセプチュアルアートの原点ともいえる河口龍夫や、重厚な抽象彫刻で知られる村岡三郎、中原悌二郎賞を受けた植松奎二、そして野村仁、彦坂尚嘉、柏原えつとむといった重要な作家が含まれているので、筆者ものぞいてみたのである。
1960~70年代は、アートの世界に、映像による表現が進出してきた黎明期といえる。
ただし、ほとんどは、ホールや映画館で作品が次々上映されるという形式で、会場内にいくつも映写機やモニターを置いて、どこからでも自由に見られるという(現在では当たり前となっている)スタイルの展覧会は、世界的にみても、1972年当時は非常に劃期かっき的だったらしい。
しかし、これを忠実に再現するのは、詳細な図面がのこっているわけでもなく、相当に大変だったらしい。
所蔵する絵画を、当時の記録のままに並べなおすのであれば、ほとんど苦労はないだろう。
だが、そもそも作品がない場合が多い。
ハードの部分でも、8ミリ映写機などは、すでに生産中止となってひさしく、動くものをさがすだけで一苦労であろう。
今回は、8ミリフィルムの複製にも挑んだという。
さいわい、当時の記録写真(もちろんモノクロ)と、くわしい展評(美術手帖1972年12月号)が残っており、それをもとに、各作品の配置と展示内容を割り出して、8割か9割のスケールで、作品を配置しなおしたという。ただし、どうしても作品が見つからない場合は、記録写真を貼るだけにとどめた。
もうひとつ、この展覧会のユニークな点は会場が漢字の「回」のように設営されていること。
まんなかの四角の中に、往時の展覧会を再現し、その外側の回廊部分に、43年前の資料を展示したり、現存者のインタビュー映像を流したりしているのである。
つまり、一種の入れ子構造になっていて、外側の部分も充実しているのだ。
映像作品の多くは、外の回廊部分でも、液晶モニターで見ることができるようになっている。
2.会場のようす
8ミリフィルムをエンドレスで上映させるため、天井から床までをフィルムが這い回っている。貴重なフィルムなので、これも複製したのだろう。
作品としては( http://www.momat.go.jp/am/wp-content/uploads/sites/3/2015/11/cd9d6d837f61988e791dfe51089cb0e5.pdf )、フィルムの残渣を山積みにし、そこから抜いた映像をスライドプロジェクター(これも、パソコンが主流となったこの15年ほどはあまり見なくなったなあ!)で順次投影する今井祝雄、「足を洗いましょう」「足から洗いましょう」「足は洗いましょう」などの短い文章が書かれた壁に、それぞれ同じ、足を洗っているカラー映像を投影させた柏原えつとむなどが印象に残った。
後者は、映像は同じなのに、テキストは微妙に異なっている。日本語のニュアンスのわずかな違いを、映像は表現できないということを、あらためて認識させられる。
山中信夫は、板で巨大なピンホールカメラを作り、中に人が入れるという仕組み。
並んで中に入ったら、もちろん真っ暗で、ようやく目が慣れてきたと思ったら、外にいた係の人から、そろそろ出てくださいとノックされた。
あと、作者名がわからないのだが、表裏に映像が投影されていて、片側には、屋外に設置されている扉がえんえんと移されていて、その反対側には、扉から男が出てきてこちらに向かって歩きだし数十秒後には背中を向けて反対側に歩いていって扉の向こう側に消える―という映像を繰り返す、という作品がおもしろかった。
3.展覧会の意義
これに限らず最近、全国的に、1970年前後の「熱い季節」を振り返る本格的な企画が多いように思う。
もちろん、面白い時代であるということが最大の動機だろうが、それ以上に、当時の関係者が高齢化してきて、インタビューなどで当時を知る最後の機会になりつつあるという事情もある。
また、今回の8ミリフィルムのように、ほうっておくとホントに、(技術的な問題で)再生困難になってしまう作品が少なくないというのも、理由のひとつだろう。
しかし、北海道では、この種の動きはほとんどない。
道立近代美術館では、戦前を回顧する展覧会は開かれるが、戦後の時代を振り返る企画は皆無である。
たとえば「帰ってきたダダっ子展」などを再現するとか、「テトラハウスと川俣正の出発」とか、テーマはいくらでもあると思うんだが…。
関係者の皆さん、そろそろ考えてみるべきときではないでしょうか。
(この項続く)