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神田日勝記念美術館の菅訓章(すが・のりあき)館長が死去 ※訂正あり

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※たいへん、申し訳ありません。故人の名前が変換ミスになっておりました。「菅」が正しい表記です。

 十勝管内鹿追町の神田日勝にっしょう記念美術館のウェブサイトおよびフェイスブックによると、同館の菅訓章(すが・のりあき)館長が12日に亡くなっていたそうです。

 神田日勝(1937~70)は、1960年代に農業のかたわら絵筆を執り、わずか32歳で亡くなった画家。北海道立近代美術館に所蔵されている、最後の作品「室内風景」は、見る人に大きな衝撃を与えました。この画家の作品を展示する美術館の設立に力を尽くし、一貫して運営を切り盛りしてきたのが、菅さんでした。

 同館の館長は、初代が芥川賞作家の高橋揆一郎さん、2代目が小説家の小檜山博さんで、道内文化人が非常勤で就任してきましたが、3代目に菅さんが就任。
 日勝の関連の展覧会はもちろん、隣接する町民ホールも用いて、日勝に関連のある独立美術協会や全道展の画家によるグループ展などを、精力的に開催してきました。

 菅さんについて特筆すべきなのは、その神出鬼没ぶりです。
 道内の画家から案内状が届くと、その会場が札幌だろうが銀座であろうが、ふいに登場するのです。案内状が来た展覧会は原則すべてに足を運んでいたと思います(比べるのはおこがましいですが、私ごときは足元にもおよびません)。
 この2年間ほどは、がんを患い、以前よりはペースが落ちていたようで、「余命何カ月と医師に言われてまして」などと言いつつ、オープニングパーティーなどに精力的に顔を出していました。この正月の、道新の新年恒例会にも出席なさっていたと聞いています。
 ユーモアあふれる語り口と柔和な笑顔で、とくに具象画家からは絶大な信頼を得ておられました。


 以下は、個人的な思い出です。

 筆者が北見に住んでいたころのこと。
 札幌でギャラリー回りをしていたら、円山の街路でばったり菅さんにお会いしました。
 菅さんが口にした、見に行っていた展覧会の名は、筆者が見ないで済まそうとしていたものでした。
 反省しました。その展覧会を見に行くことにしました。

 菅さんの精神を、見習わなくてはいけないと思いました。


 ご冥福をお祈りします。


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