(承前)
企画者側のテキストはこちらで読める。
ごく大雑把な、全体にわたる感想をいわせてもらえば、ここに挙げられている北海道の特徴は、地方一般の特徴かもしれず、ことさらに「北海道の特質」といえるかどうか疑問だということだ。
まあ、それはたいした問題ではないんだけど。
そのなかで、Tokyo Art Beatに引用されたため、急に目立ってしまった要素がある。
「美大もない北海道」
というくだりだ。
これは、フライヤーの原文では
「機能的な美術大学も無ければ」
となっている。
言い回しの違いはおくとして、筆者が引っかかったのは、
そもそも美大がないことが、そんなに問題なのか?
ということだった。
もちろん、道内には大谷大や北翔大、道都大がある。建築・デザインでは東海大キャンパスもあるし、今後は札幌市立大から卒業生が出てくるだろう。
そして、道内で戦後、最も多くの美術家を輩出してきたのは、北海道教育大である。
道教大は、道学芸大時代から「特美コース」を設け、美術家の養成に努めてきた。第1期は、木嶋良治、豊島輝彦、米谷雄平、金子忠昌、川井坦、鈴木吾郎、山田吉泰、小林繁美といった、道内美術を半世紀近くにわたって引っ張ってきた顔ぶれである。
今回の「生息と制作」展の出品者とその周辺でいえば、小林麻美、およびその同世代の久野志乃、武田浩志など、30代の作家は、映像や現代美術も含め枚挙にいとまがないほどだ。
したがって、「美大がない」というのは、端的に言って事実誤認に近いのだが、それはそれとして、世間に知られた美大がなくたって別にいいべや〜と筆者が思ったのは、実は、第5回サッポロ未来展のときだった。
サッポロ未来展は、40歳以下の道内在住および首都圏在住の道内出身者の作家が毎年3月に開いている大規模なグループ展で、年によって、団体公募展系の絵画が多くなったり、現代美術系の作品が半分ぐらいを占めたりする。
第5回は、武蔵野美大、多摩美大の学生による絵画の出品が、たぶん最も多い年であったが、それらを見た筆者の率直な感想は、次のようなものだった。
「なんだ、七月展(道教育大の学生展)の方がずっといいじゃん」
そういうわけで、筆者は、まあ東京藝大は別にしても、武蔵美や多摩美に対して北海道の若手がコンプレックスを抱く必要はないと思っているし、山形や名古屋、京都、大阪、倉敷、沖縄など各地にある美大の水準がどれほどのものか知る機会もないのだが、北海道には教育大などがあるのだからもう十分だと思っているのである。
さて、先の美大につづくくだりは、次のような文章になっている。
またそれを享受し、市場化するギャラリーや、
コレクター、批評家、キュレーター、現代美術館も明確には存在していると言いがたい。
これもなあ…。
どういったらいいかなあ。
たしかに、東京よりは少ないかもしれないけど、批評家やキュレーターはいないわけではないし、現代美術に重点を置いた札幌宮の森美術館もオープンしたし…。
1990年代まで札幌の美術シーンは貸し画廊を回っていればだいたい把握できたといえるだろうけど(それは、80年代まで東京の美術シーンが京橋・銀座の月曜日絨毯爆撃でおおむねつかめたというのと、少し似ている)、近年は少しずつ様子が変わってきていると思う。
ここで筆者が唐突に思い出したのが、「札幌は中途半端な都会」という、會田千夏のことば。
彼女は札幌在住の若手では珍しく東京の画廊と契約して絵画制作を続けている。
「生息と制作」展の直前、東京で個展を開いていた(見たかった…)。
中途半端な都会、というのは、そのとおりなのかもしれない。
ところで、上の引用に続く文の中に「選択」という語があって、それがどうも、のどに刺さった魚の小骨のように、引っかかっている。
北海道出身者が、文化/芸術で身を立てようとする場合、道内に残るのは「選択」なのだろうか。
それは、主体的な「選択」や「決断」などというよりもむしろ、どうしようもない事情のなせるわざなのではないだろうか。
ある人が、大学に職を得たり、会社に入ったり、アーティストインレジデンスでどこかのマチに滞在したりといったことは、本人の意志とはあまり関係のない契機によって決まっていくように思われる。
(かくいう筆者がそうだし)
なんだかまとまりのない文章になってしまった。
最後に、あらためて強調しておきたいのは、北海道にも美術シーンはちゃんと存在しているということ。
ただし、東京で発表するには二の足を踏む作家が多く(銀座の貸し画廊を1週間借りて絵画の個展を開くと、滞在費や交通費、案内状代などをもろもろ含めて100万円ほどかかると聞いたことがある)、これまではあまりその存在が知られてこなかったということだ。
以前も書いたが、なにかと批判され、近年では無視されつつある団体公募展は、地方の人にも平等に開かれており、東京と地方の情報流通にも役立っていた。団体公募展の存在感が小さくなってきたことが、地方の作家の東京進出のチャンスをかえって狭めているという点は、否定できないように感じられる。
札幌近郊、北広島在住の岡部昌生はヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表に選ばれるまで、佐賀町エキシビットスペースなどで個展を繰り返した。そうでもしないと、北海道の作家は東京で認知されない。しかし、そこまでやる人・できる人は、ほんとうに少ないのが実情なのだ。
企画者側のテキストはこちらで読める。
ごく大雑把な、全体にわたる感想をいわせてもらえば、ここに挙げられている北海道の特徴は、地方一般の特徴かもしれず、ことさらに「北海道の特質」といえるかどうか疑問だということだ。
まあ、それはたいした問題ではないんだけど。
そのなかで、Tokyo Art Beatに引用されたため、急に目立ってしまった要素がある。
「美大もない北海道」
というくだりだ。
これは、フライヤーの原文では
「機能的な美術大学も無ければ」
となっている。
言い回しの違いはおくとして、筆者が引っかかったのは、
そもそも美大がないことが、そんなに問題なのか?
ということだった。
もちろん、道内には大谷大や北翔大、道都大がある。建築・デザインでは東海大キャンパスもあるし、今後は札幌市立大から卒業生が出てくるだろう。
そして、道内で戦後、最も多くの美術家を輩出してきたのは、北海道教育大である。
道教大は、道学芸大時代から「特美コース」を設け、美術家の養成に努めてきた。第1期は、木嶋良治、豊島輝彦、米谷雄平、金子忠昌、川井坦、鈴木吾郎、山田吉泰、小林繁美といった、道内美術を半世紀近くにわたって引っ張ってきた顔ぶれである。
今回の「生息と制作」展の出品者とその周辺でいえば、小林麻美、およびその同世代の久野志乃、武田浩志など、30代の作家は、映像や現代美術も含め枚挙にいとまがないほどだ。
したがって、「美大がない」というのは、端的に言って事実誤認に近いのだが、それはそれとして、世間に知られた美大がなくたって別にいいべや〜と筆者が思ったのは、実は、第5回サッポロ未来展のときだった。
サッポロ未来展は、40歳以下の道内在住および首都圏在住の道内出身者の作家が毎年3月に開いている大規模なグループ展で、年によって、団体公募展系の絵画が多くなったり、現代美術系の作品が半分ぐらいを占めたりする。
第5回は、武蔵野美大、多摩美大の学生による絵画の出品が、たぶん最も多い年であったが、それらを見た筆者の率直な感想は、次のようなものだった。
「なんだ、七月展(道教育大の学生展)の方がずっといいじゃん」
そういうわけで、筆者は、まあ東京藝大は別にしても、武蔵美や多摩美に対して北海道の若手がコンプレックスを抱く必要はないと思っているし、山形や名古屋、京都、大阪、倉敷、沖縄など各地にある美大の水準がどれほどのものか知る機会もないのだが、北海道には教育大などがあるのだからもう十分だと思っているのである。
さて、先の美大につづくくだりは、次のような文章になっている。
またそれを享受し、市場化するギャラリーや、
コレクター、批評家、キュレーター、現代美術館も明確には存在していると言いがたい。
これもなあ…。
どういったらいいかなあ。
たしかに、東京よりは少ないかもしれないけど、批評家やキュレーターはいないわけではないし、現代美術に重点を置いた札幌宮の森美術館もオープンしたし…。
1990年代まで札幌の美術シーンは貸し画廊を回っていればだいたい把握できたといえるだろうけど(それは、80年代まで東京の美術シーンが京橋・銀座の月曜日絨毯爆撃でおおむねつかめたというのと、少し似ている)、近年は少しずつ様子が変わってきていると思う。
ここで筆者が唐突に思い出したのが、「札幌は中途半端な都会」という、會田千夏のことば。
彼女は札幌在住の若手では珍しく東京の画廊と契約して絵画制作を続けている。
「生息と制作」展の直前、東京で個展を開いていた(見たかった…)。
中途半端な都会、というのは、そのとおりなのかもしれない。
ところで、上の引用に続く文の中に「選択」という語があって、それがどうも、のどに刺さった魚の小骨のように、引っかかっている。
北海道出身者が、文化/芸術で身を立てようとする場合、道内に残るのは「選択」なのだろうか。
それは、主体的な「選択」や「決断」などというよりもむしろ、どうしようもない事情のなせるわざなのではないだろうか。
ある人が、大学に職を得たり、会社に入ったり、アーティストインレジデンスでどこかのマチに滞在したりといったことは、本人の意志とはあまり関係のない契機によって決まっていくように思われる。
(かくいう筆者がそうだし)
なんだかまとまりのない文章になってしまった。
最後に、あらためて強調しておきたいのは、北海道にも美術シーンはちゃんと存在しているということ。
ただし、東京で発表するには二の足を踏む作家が多く(銀座の貸し画廊を1週間借りて絵画の個展を開くと、滞在費や交通費、案内状代などをもろもろ含めて100万円ほどかかると聞いたことがある)、これまではあまりその存在が知られてこなかったということだ。
以前も書いたが、なにかと批判され、近年では無視されつつある団体公募展は、地方の人にも平等に開かれており、東京と地方の情報流通にも役立っていた。団体公募展の存在感が小さくなってきたことが、地方の作家の東京進出のチャンスをかえって狭めているという点は、否定できないように感じられる。
札幌近郊、北広島在住の岡部昌生はヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表に選ばれるまで、佐賀町エキシビットスペースなどで個展を繰り返した。そうでもしないと、北海道の作家は東京で認知されない。しかし、そこまでやる人・できる人は、ほんとうに少ないのが実情なのだ。