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■けはいをきくこと…北方圏における森の思想 Cipasir 坂巻正美展 (2013年4月14日で終了。網走)

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(この記事の写真についても、作家と美術館の許可を得ています。長文です)

To Sense an Indication…Idea of Forest in the North  Masami SAKAMAKI


 坂巻正美さんは岩見沢郊外に住み、道教大で教壇に立ちながら、インスタレーションを制作している。
 2010年に北大構内で、昨年は新潟の「水と土の芸術祭」で作品を発表している。また、2005年には上川管内音威子府おと い ねっぷ村でも個展を開いている。
 ただし、全体として札幌での発表はそれほど多くない上、しかも、2003年の札幌芸術の森美術館での「北の創造者たち−虚実皮膜」展、2010年のSTV北2条ビルエントランスアートでの2人展(大井敏恭さんとの)について筆者がこのサイト・ブログにきちんと記録を残していないため(坂巻さん、すみません)、なんだかおそろしくひさしぶりに坂巻さんの作品と向かい合ったような気がする。

 坂巻さんの作品については、道教大のサイトに解説している「研究内容」をそのまま引用するのが、簡潔でいいだろう。

「けはいをきくこと」の主題でシリーズ作品を創作している。現在は、この主題に加え「北方圏の森の思想」のサブタイトルを付して作品を展開している。発表は、空間を構成(インスタレーション=仮設展示)する彫刻表現で、北海道を拠点にロシア極東や北米北方圏など、人類学資料を基にしたフィールドワークの現場で収集する物語やオブジェを表現素材として創作を行っている。

 そうなのだ。
 坂巻さんが提示する作品とは、絵画や彫刻のような、制作のすえに完成したいかにもアートっぽいものではない。むしろ、文化人類学の発表に似ている。

 だから、できばえに感服するアートではなく、新たな見方を提示し見る人を考察に誘うアートなのだ。

 今回は、新潟での発表をアレンジしたもの。
 網走市立美術館には四つの展示室があり、第3、第4は常設の所蔵品展に使用しているため、坂巻さんの個展には第1、第2展示室が使われている。
 ブログで紹介しているのは3枚とも第2展示室の写真。
 第1展示室は、暗い中にクマの頭骨が並び、天井から吊るされた豆電球がそれを照らしていた。

 第2展示室は、緋毛氈 ひ もうせんの上に、規則的にクマの頭骨と、毛皮が並ぶ。
 手前にあるのは、岩手・早池峰はや ち ね 地方のものという。
 坂巻さんから、東北のマタギたちが、クマのことを「獅子」と呼ぶことを教わる。
 岩手の「シシ踊り」というと、筆者はすぐに宮沢賢治の詩に登場する「鹿シカ踊り」のことを思い出してしまうが、熊のことも「しし」と呼ぶのだという。

 なお、画像では見えづらいが、天井からは、しずくの形をした蜜蝋みつろうが麻糸によって吊り下げられている。
 なんらかの結界を、緋毛氈を敷いた板と、それ以外の空間の間につくっているかのようだ。

 中央の3頭は、ツキノワグマのもの。



 音威子府で入手したヒグマ。
 6歳のオスと推定される。

 坂巻さんが音威子府で、クマの頭骨が埋まっていそうな場所を地元の人から聞いて山に入ってみると、その場所からヤナギの木がはえだしていたという。木を折ってまで頭骨を掘り出すにはしのびないと、ひとまずその場を離れたら、その晩のうちに音威子府駅長から、クマが列車にひかれて死んだという電話があったという。
 毛皮が折りたたまれて置かれているのは、そのときのクマだ。




 第2展示室の奥には、本物の頭骨と、それで型を取ったオブジェが、台の上に並ぶ。
 そして、展示室の壁には、クマの毛皮をかぶった男のモノクロ写真が11枚と、カナダの朽ちたトーテムポールのモノクロ写真が1枚、貼られている。このクマの毛皮をかぶった人物の写真は、「クマになれ」というこの展覧会のテーマを十二分に語っているように思う。
 熊になれ、というのは、奇妙な命令に聞こえるが、坂巻さんによれば、東北・北海道からユーラシア、北米にかけての北方民族の間では、熊は尊崇されており、再生のシンボルとされているというのだ。

 新潟の展示会場と、今回の網走市立美術館に来た観覧者には、熊のお面が配られ、それをつけた写真を撮影したのだが、そのお面の裏側には「熊ししに生なる」という、作者によるテキストが印刷されている。
 そこからの引用。

岩手の早池峰神楽は、黒い獅子頭がしらで鼻も長く耳が立つ。獅子神楽の歯撃ち、頭食はみや胎内潜りは、人が獅子に食べられ、獅子の腹から生まれ変わり、邪気を祓はらう再生の儀式だ。同じような思想が、北米北西海岸先住民のトーテムポールにも刻まれている。アイヌや北方先住民が熊の毛皮や頭骨を祀るのも、そこに熊の力が宿るからである。

 このテキストは、次のようにしめくくられている。

 熊ししを巡る狩猟採集の思想は、大地を占有するという発想を持たない、大地に身をゆだねる熊のふるまいだ。(中略)熊に喰くわれ、熊に生り、熊の力を授かり、熊のごとくふるまえ。このお面は、古いにしえの森を巡る流域の思想を現代に再生する神器だ。熊に生って踊れ。

 ここで、筆者はわかった。
 獅子舞に頭をかまれた子はじょうぶになる、という言い伝えは、このことだったんだ!


 坂巻さんのインスタレーションは、文明社会への異議申し立て(アンチテーゼ)として、成立している。
 しかも、論理に対して論理で対抗するというよりは、静かな物言いであると同時に、どこか祝祭的な、つまり論理を脱臼するような表現(言説)であるように思う。


 ところで、この個展の副題にある「Cipasir」は「チパシリ」と読み、網走の元になったといわれるアイヌ語である。
 実は、網走などオホーツク沿岸にはかつて(10世紀頃)なぞの海洋民族が住んでいたことが、市内のモヨロ貝塚の発掘調査などからわかっている。
 おそらく坂巻さんは、せっかく網走で個展を開くからには、新潟とはまた異なった土地の特質を兼ね備えた展示にしたかったのではないか。
 東北・新潟のツキノワグマも、北海道のヒグマも、そして北米の熊も、共通した文化圏にあると同時に、それぞれの地域で差異をもつ。

 ローカリティーと共通性との細やかに織り成す模様を、ブルドーザーで均質化していくのが、グローバリゼーションという名の文明の暴力なのだろう。


(ただ、言わずもがなのことを付け加えておけば、札幌の人間が網走や新潟で作品を発表できるという、昔は考えられなかった利便を提供しているのもまた文明であるということは、忘れずにおきたい。坂巻さんの展覧会に直接関係ないことではあるが)



2013年3月16日(土)〜4月14日(日)午前9時〜午後5時、月曜休み
網走市立美術館(南6西1)

□坂巻正美さんのサイト http://kuma-s.org/
□北海道教育大学の教員情報 http://kensoran.hokkyodai.ac.jp/huehp/KgApp?kyoinId=ymiyggggggs

 関連記事へのリンク(画像なし)
アジアプリントアドベンチャー(2003年)
Northern Elements (2002年)

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