2019年2月9日の読売、朝日など各紙に、戦後を代表する写真家のひとり長野重一(ながの・しげいち)さんの訃報(https://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/entertainment/20190208-567-OYT1T50254.html)が載っていた。
1月30日、慢性腎不全のため東京都内の病院で死去したという。大分県出身、93歳だった。
長野さんというと思い出すのは代表作「5時のサラリーマン」だ。
1959年、帰路につく東京・丸の内の男たちを写した一枚。といっても、人間たちは構図の下のほうに押し込まれ、画面の大半は石垣が占めている。皇居の石垣だろうか。
作品の出来もさることながら、筆者は
「昔は大会社のサラリーマンは5時に帰っていたのか!」
という驚きが強かった。「日本人は昔から長時間労働」といわれていたのは、どうもうそくさい。
北海道との関係も深い。
岩波写真文庫から独立してフリーとなり、1956年に最初に選んだ撮影地が利尻だった。
2週間ほど滞在して撮った写真は「アサヒグラフ」57年3月号に掲載された。
そして「東川賞」の審査である。
手元に資料がないのではっきりしたことをここで書けないのが残念だが、昨年で34回となる東川賞の歴史のうち、開始から20回ぐらいは審査を担当していたのではないか。
岩波書店『日本の写真家』シリーズの編集を担当するなど、目利きの面が評価されたのだろう。
初期の東川賞では、写真批評の平木収さんと並ぶ功労者だと思う。
優れた写真家、芸術家は往々にして、鋭い眼光を放つギラギラした雰囲気を漂わせているが、長野さんは正反対の、穏やかな雰囲気の方だった。
こういう人望のありそうなベテランが委員長の座にいれば、どんなに審査が長引いても、落ち着くところに落ち着くんだろうなと思わせた。
筆者は、直接お話をしたことはないが、至近距離にいたことがある。
そのときの北海道美術ネット( www5b.biglobe.ne.jp/artnorth/sub200207a.htm )には、こうある。
トイレで小便をしていたら、となりに並んだ人を見てちょっとびっくり。
毎年のように審査などで東川を訪れ、公平な評価ぶりが信頼を得ている日本写真界の重鎮、長野重一さん(1925年~)ではないですか。
うーん、しかし、このシチュエーションで、それほどの大ファンでもないのに
「ファンです」
とかいって握手を求めるのもヘンだし
「あの、サルの親子が温泉に入っている、生命保険会社のコマーシャル好きでした」
などと突然言い出すのももっとヘンだし(長野さんは一時期コマーシャルや映像制作にたずさわっていた)、どうしようどうしようと思って、けっきょく黙って出てきちゃいました。
こういう時はどうしたらいいんでしょう。
ご冥福をお祈りするとともに、上でちょっと触れたコマーシャルがユーチューブにあったので、上げておく。見れば、思い出す人も多いのでは。
1979 日本生命 暮しの保険
1月30日、慢性腎不全のため東京都内の病院で死去したという。大分県出身、93歳だった。
長野さんというと思い出すのは代表作「5時のサラリーマン」だ。
1959年、帰路につく東京・丸の内の男たちを写した一枚。といっても、人間たちは構図の下のほうに押し込まれ、画面の大半は石垣が占めている。皇居の石垣だろうか。
作品の出来もさることながら、筆者は
「昔は大会社のサラリーマンは5時に帰っていたのか!」
という驚きが強かった。「日本人は昔から長時間労働」といわれていたのは、どうもうそくさい。
北海道との関係も深い。
岩波写真文庫から独立してフリーとなり、1956年に最初に選んだ撮影地が利尻だった。
2週間ほど滞在して撮った写真は「アサヒグラフ」57年3月号に掲載された。
そして「東川賞」の審査である。
手元に資料がないのではっきりしたことをここで書けないのが残念だが、昨年で34回となる東川賞の歴史のうち、開始から20回ぐらいは審査を担当していたのではないか。
岩波書店『日本の写真家』シリーズの編集を担当するなど、目利きの面が評価されたのだろう。
初期の東川賞では、写真批評の平木収さんと並ぶ功労者だと思う。
優れた写真家、芸術家は往々にして、鋭い眼光を放つギラギラした雰囲気を漂わせているが、長野さんは正反対の、穏やかな雰囲気の方だった。
こういう人望のありそうなベテランが委員長の座にいれば、どんなに審査が長引いても、落ち着くところに落ち着くんだろうなと思わせた。
筆者は、直接お話をしたことはないが、至近距離にいたことがある。
そのときの北海道美術ネット( www5b.biglobe.ne.jp/artnorth/sub200207a.htm )には、こうある。
トイレで小便をしていたら、となりに並んだ人を見てちょっとびっくり。
毎年のように審査などで東川を訪れ、公平な評価ぶりが信頼を得ている日本写真界の重鎮、長野重一さん(1925年~)ではないですか。
うーん、しかし、このシチュエーションで、それほどの大ファンでもないのに
「ファンです」
とかいって握手を求めるのもヘンだし
「あの、サルの親子が温泉に入っている、生命保険会社のコマーシャル好きでした」
などと突然言い出すのももっとヘンだし(長野さんは一時期コマーシャルや映像制作にたずさわっていた)、どうしようどうしようと思って、けっきょく黙って出てきちゃいました。
こういう時はどうしたらいいんでしょう。
ご冥福をお祈りするとともに、上でちょっと触れたコマーシャルがユーチューブにあったので、上げておく。見れば、思い出す人も多いのでは。
1979 日本生命 暮しの保険