「北海タイムス」の美術記者で、同紙が1998年に倒産した後も、「ACT 21」(札幌時計台ギャラリー発行)やホクレン広報誌、ブログ「北海道を彩るアーティスト」など多彩なメディアで健筆をふるっていた五十嵐恒さんが3月28日亡くなっていたことが分かりました。84歳でした。
葬儀などは済ませたもようです。
「北海タイムス」は戦後の道内で発行されていた日刊新聞です。
北海道新聞と全国紙の挟みうちにあって部数が伸び悩み、本社を大通西4から南1西11に移転するなどしてたて直しを図るものの、内紛もあって、98年9月に休刊(事実上の廃刊)となりました。
五十嵐さんは1935年(昭和10年)、空知の北村(現岩見沢市北村)生まれ。札幌東高から法政大社会学部を卒業して、60年に同紙に入社しました。
64年静内支局長(現日高管内新ひだか町)、北見支社長、社会部次長を経て、82年文化部長に。
以来、美術の分野を担当し、平日は毎日、個展などの紹介記事を執筆していました。
五十嵐さんは90年に定年退職し、ホクレン農業協同組合連合会に入会、役員室広報宣伝課でホクレンの広報誌の取材、編集を担当。そこでも美術関係の原稿を書き続けました。
北海タイムス廃刊の翌年、同紙の有志が「フロンティアタイムス」を創刊しました。
同紙の経営は安定せず、「札幌タイムス」と改称して週刊化し、五十嵐さんは2002年以降、「フロンティアタイムス」「札幌タイムス」に美術記事を寄稿するとともに、一時、編集局長格で勤めていました。
「札幌タイムス」が最終的にその歴史を閉じたのは2009年ですが、五十嵐さんは最後まで美術展の紹介を書き続けていたはずです。
そんなわけで、五十嵐さんは北海タイムスを辞めて30年近くたっても
「タイムスの五十嵐さん」
の呼び名で、札幌の美術界では通っていました。
それらの新聞に書いた記事を集めて、北海タイムス社から1997年に「北海道のアーチスト」を上梓しました。
引き続き、おなじスタイルで、2009年には「北海道を彩るアーティストたち 作品展にみる364人の輝き」(共同文化社、2940円)を出版しています。
いずれも分厚い本で、道内の美術家の略歴などの、貴重なデータベースになっています。
2009年に始まったブログは、それらの新聞記事と同じスタイルで書かれています。
ことし1月の亀井由利さんの個展(石の蔵ぎゃらりぃはやし)が、事実上の最後の記事になりました。
五十嵐さんは、札幌時計台ギャラリー発行の季刊紙「ACT 21」(~2016年)にも、アトリエ訪問記を連載していました。
美術展のプロデュース(ホテルなどで展示をやってくれる画家さがし)なども引き受けていたようです。
とくに美術の専門教育を受けたわけではないようでしたが、なにせ長年の蓄積があり、取材は手早く、道内美術界に大勢の知人がいました。
威圧的なところはまったくなく、たいへんに気さくな方でした。
80代になっても日本画を習い始めるなど、若々しい姿には、大いに励まされました。
札幌のギャラリーで、あの長身でさっそうと歩く五十嵐さんにばったり出会うことが今後はないと思うと、さびしくてなりません。
ご冥福をお祈りします。
関連記事へのリンク
ブログ『北海道を彩るアーティスト』 がお休み (2019年2月)
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札幌タイムス休刊と美術記事の行方
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五十嵐さんは1935年(昭和10年)、空知の北村(現岩見沢市北村)生まれ。札幌東高から法政大社会学部を卒業して、60年に同紙に入社しました。
64年静内支局長(現日高管内新ひだか町)、北見支社長、社会部次長を経て、82年文化部長に。
以来、美術の分野を担当し、平日は毎日、個展などの紹介記事を執筆していました。
五十嵐さんは90年に定年退職し、ホクレン農業協同組合連合会に入会、役員室広報宣伝課でホクレンの広報誌の取材、編集を担当。そこでも美術関係の原稿を書き続けました。
北海タイムス廃刊の翌年、同紙の有志が「フロンティアタイムス」を創刊しました。
同紙の経営は安定せず、「札幌タイムス」と改称して週刊化し、五十嵐さんは2002年以降、「フロンティアタイムス」「札幌タイムス」に美術記事を寄稿するとともに、一時、編集局長格で勤めていました。
「札幌タイムス」が最終的にその歴史を閉じたのは2009年ですが、五十嵐さんは最後まで美術展の紹介を書き続けていたはずです。
そんなわけで、五十嵐さんは北海タイムスを辞めて30年近くたっても
「タイムスの五十嵐さん」
の呼び名で、札幌の美術界では通っていました。
それらの新聞に書いた記事を集めて、北海タイムス社から1997年に「北海道のアーチスト」を上梓しました。
引き続き、おなじスタイルで、2009年には「北海道を彩るアーティストたち 作品展にみる364人の輝き」(共同文化社、2940円)を出版しています。
いずれも分厚い本で、道内の美術家の略歴などの、貴重なデータベースになっています。
2009年に始まったブログは、それらの新聞記事と同じスタイルで書かれています。
ことし1月の亀井由利さんの個展(石の蔵ぎゃらりぃはやし)が、事実上の最後の記事になりました。
五十嵐さんは、札幌時計台ギャラリー発行の季刊紙「ACT 21」(~2016年)にも、アトリエ訪問記を連載していました。
美術展のプロデュース(ホテルなどで展示をやってくれる画家さがし)なども引き受けていたようです。
とくに美術の専門教育を受けたわけではないようでしたが、なにせ長年の蓄積があり、取材は手早く、道内美術界に大勢の知人がいました。
威圧的なところはまったくなく、たいへんに気さくな方でした。
80代になっても日本画を習い始めるなど、若々しい姿には、大いに励まされました。
札幌のギャラリーで、あの長身でさっそうと歩く五十嵐さんにばったり出会うことが今後はないと思うと、さびしくてなりません。
ご冥福をお祈りします。
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