近年目や耳にするアート関係のニュースといえば、秋田公立美術大の卒業式をめぐり事務方が祝辞の文言から「イージスアショア」を外すように圧力をかけた件とか、東大生協の食堂にあった宇佐美圭司の絵画の大作が廃棄されたとか、ひどい話ばかりが続いていたが、今回はひさしぶりに快哉かいさいを叫びたくなった。
ことし8月から10月に開かれる国内最大級の芸術祭「あいちトリエンナーレ」について、芸術監督を務める津田大介さんが、参加アーティストの男女比を半々とすることを発表したのだ。
これほどわかりやすくて、しかも、現代日本に対する鋭い問題提起になっている方針って、なかなかないんじゃないだろうか。
この方針が打ち出されたあと、ツイッターにあふれる感想を、津田さんが日々かたっぱしからリツイート(拡散)して、さらに、たくさんの人にリプライ(返事)を出して、ツイッターの伝道師らしさをひさびさにバリバリ発揮していた。
筆者もリプライもらいました。まあ、テンプレみたいだけど。でも、この行動力はすごい。
— 津田大介 (@tsuda) 2019年3月30日 - 12:29
津田さんはすでにいろいろなメディアのインタビューにこたえている。
たとえば、ハフィントンポストの「「あいちトリエンナーレ2019」でジェンダー平等が実現 芸術監督の津田大介さんのこだわりの理由とは」や、「BUSINESS INSIDER JAPAN」の「アート界のM字カーブやセクハラ、津田大介が芸術祭監督をやったら見えたこと」などだ。
津田さんの考えについては、上述の記事を読んでいただければわかるし、すでに多くの人が論じているので、ここではあらためてくわしく述べることはしない。筆者としては、次の一言に思いが集約されているのではないかと感じる。
津田さんは「女性に下駄を履かせるんじゃない。男性がこれまで履いてきた高下駄を脱いでもらうんです」と説明した。
ホント、そうなんだよな。
でも、やはりというべきか、さっそく
「男性差別では」
などと言い出す手合いが出てきて、筆者はため息をついた。
こういう人って
「男女比を半々にしないと、男性の方が優秀なので多くなるに決まっている」
という前提を勝手にこしらえて、これっぽっちも疑わないんだろうな。
上の二つのインタビューにはわかりやすいグラフが引用されている。
こんなふうに、数字で事実を示すと、説得力がある。
たとえば、国内の美術館学芸員は66%が女性なのに、館長は84%が男性だという。
もっとも、筆者はこの問題についてはそれほど悲観はしていない。
わが国は年功序列の社会であり、館長職も50代以降が多い。
この世代が美術館に就職した時代はまだ女性の学芸員が少なかったであろう。
今後、世代が変わっていくにつれ、女性の館長や管理職はおのずと増えていくと予想している。 また、そうなってくれないと困る。
グラフから、もう1点。
これは話の本筋と直接関係がないが「主な国際芸術祭の男女比」のグラフで比較対象に挙げられているのが
・あいトリ2010
・あいトリ2013
・あいトリ2016
・横トリ2017
・リボーン2017
・札幌国際2017
・越後妻有2018
なのだ。
もちろん「横トリ」は「ヨコハマトリエンナーレ」の略。
「リボーン」は、宮城県の牡鹿半島と石巻市で2017年に第1回が開かれた「リボーンアート・フェスティバル」である。ことし8~9月に第2回がある。
これは札幌の人間として、すなおにうれしい。
瀬戸内国際芸術祭もさいたまトリエンナーレも押しのけて、「主な国際芸術祭」のひとつとして定着していることを示すからだ。
どうしてこういうラインナップなのかよくわからないが(笑)。
個人的には参加者の8割近くが男性というのは意外に感じた。
毛利悠子、Sachiko.M、マレウレウ、指輪ホテルなど、要所要所で女性が活躍していたという印象が強いのだ。
しかし、そう思うのは自分が男性だからであって、女性は
「女性が少ないなあ」
と感じていたのかもしれない。
付け加えておけば、筆者は2016年のあいちトリエンナーレを見に行き、たいへんに楽しくおもしろかったし、2013年は行けなかったけれど「揺れる大地」というテーマが非常にタイムリーで「いいじゃん」と思った記憶がある。
一度行った国際芸術祭よりも行ったことのない芸術祭を優先したいーと思っているから、今年は予定がなかったのだが、今回の件で俄然興味が湧いてきた。
ことし8月から10月に開かれる国内最大級の芸術祭「あいちトリエンナーレ」について、芸術監督を務める津田大介さんが、参加アーティストの男女比を半々とすることを発表したのだ。
これほどわかりやすくて、しかも、現代日本に対する鋭い問題提起になっている方針って、なかなかないんじゃないだろうか。
この方針が打ち出されたあと、ツイッターにあふれる感想を、津田さんが日々かたっぱしからリツイート(拡散)して、さらに、たくさんの人にリプライ(返事)を出して、ツイッターの伝道師らしさをひさびさにバリバリ発揮していた。
筆者もリプライもらいました。まあ、テンプレみたいだけど。でも、この行動力はすごい。
@akira_yanai ご興味持っていただきありがとうございます! ジェンダー平等が話題になってますが、それ以上に質的な意味でいい感じで仕上がってきているのでぜひ足をお運びください。きっと損はさせません! お待ちしてます!^^
— 津田大介 (@tsuda) 2019年3月30日 - 12:29
津田さんはすでにいろいろなメディアのインタビューにこたえている。
たとえば、ハフィントンポストの「「あいちトリエンナーレ2019」でジェンダー平等が実現 芸術監督の津田大介さんのこだわりの理由とは」や、「BUSINESS INSIDER JAPAN」の「アート界のM字カーブやセクハラ、津田大介が芸術祭監督をやったら見えたこと」などだ。
津田さんの考えについては、上述の記事を読んでいただければわかるし、すでに多くの人が論じているので、ここではあらためてくわしく述べることはしない。筆者としては、次の一言に思いが集約されているのではないかと感じる。
津田さんは「女性に下駄を履かせるんじゃない。男性がこれまで履いてきた高下駄を脱いでもらうんです」と説明した。
ホント、そうなんだよな。
でも、やはりというべきか、さっそく
「男性差別では」
などと言い出す手合いが出てきて、筆者はため息をついた。
こういう人って
「男女比を半々にしないと、男性の方が優秀なので多くなるに決まっている」
という前提を勝手にこしらえて、これっぽっちも疑わないんだろうな。
上の二つのインタビューにはわかりやすいグラフが引用されている。
こんなふうに、数字で事実を示すと、説得力がある。
たとえば、国内の美術館学芸員は66%が女性なのに、館長は84%が男性だという。
もっとも、筆者はこの問題についてはそれほど悲観はしていない。
わが国は年功序列の社会であり、館長職も50代以降が多い。
この世代が美術館に就職した時代はまだ女性の学芸員が少なかったであろう。
今後、世代が変わっていくにつれ、女性の館長や管理職はおのずと増えていくと予想している。 また、そうなってくれないと困る。
グラフから、もう1点。
これは話の本筋と直接関係がないが「主な国際芸術祭の男女比」のグラフで比較対象に挙げられているのが
・あいトリ2010
・あいトリ2013
・あいトリ2016
・横トリ2017
・リボーン2017
・札幌国際2017
・越後妻有2018
なのだ。
もちろん「横トリ」は「ヨコハマトリエンナーレ」の略。
「リボーン」は、宮城県の牡鹿半島と石巻市で2017年に第1回が開かれた「リボーンアート・フェスティバル」である。ことし8~9月に第2回がある。
これは札幌の人間として、すなおにうれしい。
瀬戸内国際芸術祭もさいたまトリエンナーレも押しのけて、「主な国際芸術祭」のひとつとして定着していることを示すからだ。
どうしてこういうラインナップなのかよくわからないが(笑)。
個人的には参加者の8割近くが男性というのは意外に感じた。
毛利悠子、Sachiko.M、マレウレウ、指輪ホテルなど、要所要所で女性が活躍していたという印象が強いのだ。
しかし、そう思うのは自分が男性だからであって、女性は
「女性が少ないなあ」
と感じていたのかもしれない。
付け加えておけば、筆者は2016年のあいちトリエンナーレを見に行き、たいへんに楽しくおもしろかったし、2013年は行けなかったけれど「揺れる大地」というテーマが非常にタイムリーで「いいじゃん」と思った記憶がある。
一度行った国際芸術祭よりも行ったことのない芸術祭を優先したいーと思っているから、今年は予定がなかったのだが、今回の件で俄然興味が湧いてきた。