イタリアと日本で活躍した彫刻家の豊福知徳さんが死去し、5月20日付の朝日新聞などには死亡記事が載っていた。
北海道美術ネット別館として見過ごせないのが、どうしんウェブにも新聞各紙にも、豊福さんが1997年に「本郷新賞」を受けたことがまったく触れられていないことである。Yahoo! リアルタイムで検索しても、言及した人は誰もいない。「そりゃないぜ」と言いたい。
北海道新聞には、紙面には記事がないが、無料の「どうしんウェブ」にはなぜか掲載されていたので、以下、引用する。
楕円形の穴を幾つも開けた抽象的な作品で知られる彫刻家の豊福知徳(とよふく・とものり)さんが18日午後11時57分、福岡市の病院で死去した。94歳。福岡県出身。
(中略)
国学院大在学中に旧日本陸軍に志願し、終戦後は復学せず、彫刻家の冨永朝堂氏の下で木彫を学んだ。1959年に高村光太郎賞を受賞。60年にイタリアのミラノに拠点を移し40年以上活動した。2003年に帰国後は日本とイタリアを行き来しながら創作を続けた。
国内や欧州で個展を重ね、作品はローマの国立近代美術館や米ニューヨークのカーネギーホールといった海外の施設にも収蔵されている。78年に日本芸術大賞、93年には紫綬褒章を受章した。
朝日新聞によって追記すれば、出身は福岡県久留米市。
60年のミラノ移住は、ベネチアビエンナーレ出品がきっかけのようだ。
当時の本郷新賞は、現在と違い、全国のすぐれた野外彫刻を対象に3年に1度、贈られていた。
受賞者は、札幌彫刻美術館(現・本郷新記念札幌彫刻美術館)が個展を開催した。
豊福知徳展も1997年11~12月に開かれ、豊福さんが賞の贈呈式のため札幌に駆けつけている。
同年7月9日の北海道新聞には次のような記事(本郷新賞に豊福さん ミラノ在住 博多港の希望表現)が出ている。以下、全文を引く。
財団法人・札幌彫刻美術館と本郷新賞運営委員会は八日、札幌出身の彫刻家・故本郷新の業績を記念する第八回本郷新賞に、イタリア・ミラノ在住で福岡県久留米市出身の彫刻家豊福知徳(とよふく・とものり)さん(72)の作品「那の津往還」を選んだ、と発表した。
受賞作品は高さ十五メートル(台座を含む)、幅七メートル、奥行き十七メートルの大作。福岡市が昨年三月、博多港が戦後、中国東北部や朝鮮半島からの引き揚げ港であった歴史的事実や戦争の悲惨さを後世に語り継ごうと、同港中央ふ頭に設置した。
船と人間をかたどった彫刻本体は「那の津」と呼ばれてきた博多港の希望を表現している。
同賞はだれもが無料で鑑賞できる公共スペースに設置された彫刻に、隔年で贈られている。今回は一九九五、九六年の二年間に新たに設置された作品二十七点が候補作となり、彫刻家の佐藤忠良氏ら八人の選考委員が選んだ。豊福さんは「もうひと踏ん張り励めよ、という本郷さんの声を聞くような思いがしています」と話しているという。
贈呈式は十一月七日に札幌彫刻美術館で行われる。
さらに、12月2日夕刊文化面には、豊福知徳展の短い紹介記事「木彫で訴える空間の美しさ 豊福知徳彫刻展」が掲載されている。
(前略) 「CAELUM'97」など、穴のあいた木彫作品が多い。題はラテン語で、空(くう)の意味。彫刻と周囲の空間の関係などについて考えさせられる。「漂流'97」は受賞作の縮小版で、木製。大海を緩やかに進む舟を思わせる。(以下略)
豊福さんと言えば、作品にあいた穴が特徴である。
彫刻に空隙をあけたのは、バーバラ・ヘップワースやヘンリー・ムアという前例があると思われ、豊福さんのオリジナルとまではいえないであろうが、穴をここまで造形に生かした彫刻家は珍しいと思う。
彫刻というのは、その周辺の空間も含めて作品であると考えれば、そこに穴をあけることで、空間のとらえ方が一気に複雑化することは間違いない。鑑賞者の視線の動きは激しさを増し、作品を巡る空間は豊かになるだろう。
ただし、そういう純粋に造形的な鑑賞とは別に、はるかな世界を行く船のようなフォルムに、ロマン派的な心情をすくいとる見方も可能だろう。
口に出すと陳腐になってしまうが、人生とは、漂流なのであり、豊福知徳作品は、そのことを無言で物語っているのである。
なお、福岡には昨年、豊福知徳ギャラリー( https://www.toyofukutomonori.com/ )がオープンしている。
道内では、2012年に「札幌彫刻美術館友の会設立30年記念企画 『市民の愛蔵彫刻展―魅せます私のコレクション』」が、本郷新記念札幌彫刻美術館で開かれた際、豊福さんの「無題」が出品されている。
ご冥福をお祈りします。
北海道美術ネット別館として見過ごせないのが、どうしんウェブにも新聞各紙にも、豊福さんが1997年に「本郷新賞」を受けたことがまったく触れられていないことである。Yahoo! リアルタイムで検索しても、言及した人は誰もいない。「そりゃないぜ」と言いたい。
北海道新聞には、紙面には記事がないが、無料の「どうしんウェブ」にはなぜか掲載されていたので、以下、引用する。
楕円形の穴を幾つも開けた抽象的な作品で知られる彫刻家の豊福知徳(とよふく・とものり)さんが18日午後11時57分、福岡市の病院で死去した。94歳。福岡県出身。
(中略)
国学院大在学中に旧日本陸軍に志願し、終戦後は復学せず、彫刻家の冨永朝堂氏の下で木彫を学んだ。1959年に高村光太郎賞を受賞。60年にイタリアのミラノに拠点を移し40年以上活動した。2003年に帰国後は日本とイタリアを行き来しながら創作を続けた。
国内や欧州で個展を重ね、作品はローマの国立近代美術館や米ニューヨークのカーネギーホールといった海外の施設にも収蔵されている。78年に日本芸術大賞、93年には紫綬褒章を受章した。
朝日新聞によって追記すれば、出身は福岡県久留米市。
60年のミラノ移住は、ベネチアビエンナーレ出品がきっかけのようだ。
当時の本郷新賞は、現在と違い、全国のすぐれた野外彫刻を対象に3年に1度、贈られていた。
受賞者は、札幌彫刻美術館(現・本郷新記念札幌彫刻美術館)が個展を開催した。
豊福知徳展も1997年11~12月に開かれ、豊福さんが賞の贈呈式のため札幌に駆けつけている。
同年7月9日の北海道新聞には次のような記事(本郷新賞に豊福さん ミラノ在住 博多港の希望表現)が出ている。以下、全文を引く。
財団法人・札幌彫刻美術館と本郷新賞運営委員会は八日、札幌出身の彫刻家・故本郷新の業績を記念する第八回本郷新賞に、イタリア・ミラノ在住で福岡県久留米市出身の彫刻家豊福知徳(とよふく・とものり)さん(72)の作品「那の津往還」を選んだ、と発表した。
受賞作品は高さ十五メートル(台座を含む)、幅七メートル、奥行き十七メートルの大作。福岡市が昨年三月、博多港が戦後、中国東北部や朝鮮半島からの引き揚げ港であった歴史的事実や戦争の悲惨さを後世に語り継ごうと、同港中央ふ頭に設置した。
船と人間をかたどった彫刻本体は「那の津」と呼ばれてきた博多港の希望を表現している。
同賞はだれもが無料で鑑賞できる公共スペースに設置された彫刻に、隔年で贈られている。今回は一九九五、九六年の二年間に新たに設置された作品二十七点が候補作となり、彫刻家の佐藤忠良氏ら八人の選考委員が選んだ。豊福さんは「もうひと踏ん張り励めよ、という本郷さんの声を聞くような思いがしています」と話しているという。
贈呈式は十一月七日に札幌彫刻美術館で行われる。
さらに、12月2日夕刊文化面には、豊福知徳展の短い紹介記事「木彫で訴える空間の美しさ 豊福知徳彫刻展」が掲載されている。
(前略) 「CAELUM'97」など、穴のあいた木彫作品が多い。題はラテン語で、空(くう)の意味。彫刻と周囲の空間の関係などについて考えさせられる。「漂流'97」は受賞作の縮小版で、木製。大海を緩やかに進む舟を思わせる。(以下略)
豊福さんと言えば、作品にあいた穴が特徴である。
彫刻に空隙をあけたのは、バーバラ・ヘップワースやヘンリー・ムアという前例があると思われ、豊福さんのオリジナルとまではいえないであろうが、穴をここまで造形に生かした彫刻家は珍しいと思う。
彫刻というのは、その周辺の空間も含めて作品であると考えれば、そこに穴をあけることで、空間のとらえ方が一気に複雑化することは間違いない。鑑賞者の視線の動きは激しさを増し、作品を巡る空間は豊かになるだろう。
ただし、そういう純粋に造形的な鑑賞とは別に、はるかな世界を行く船のようなフォルムに、ロマン派的な心情をすくいとる見方も可能だろう。
口に出すと陳腐になってしまうが、人生とは、漂流なのであり、豊福知徳作品は、そのことを無言で物語っているのである。
なお、福岡には昨年、豊福知徳ギャラリー( https://www.toyofukutomonori.com/ )がオープンしている。
道内では、2012年に「札幌彫刻美術館友の会設立30年記念企画 『市民の愛蔵彫刻展―魅せます私のコレクション』」が、本郷新記念札幌彫刻美術館で開かれた際、豊福さんの「無題」が出品されている。
ご冥福をお祈りします。