日本統治下の「台湾」で「国民」化を図った行為を問うーという、非常に重い作品の、次の部屋にあったのも、やはり重たい作品だった。
このモニカ・メイヤーのインスタレーションはおそらく、本来の形で展示されていたとしても、たいへんに重たい問いをはらんだ作品であり、津田大介が開催前に呈示していた「男女同数の試み」への一種の回答ともなっている象徴的な発表になっていただろう。
しかし、筆者が行ったときは、「表現の不自由展・その後」の一時閉鎖を受けて、展示が作者自身の手により改変されていた。
改変後の展示は、筆者に大きな衝撃を与えた。
いうなればそれは、女性たちを二重に、陵辱し差別している様子の暗喩になっていたからである。

まったく見ることのできない展示もあったが、このモニカ・メイヤー作品のように、抗議の意味を込めて作者が一部を改変したり展示を縮小したものもあった。
こういう事態に異議申し立てをするのは表現者としては当然のことである。
ただ、彼女のように、展示を改変した作家については、筆者は思わず
「さすが芸術家。ただで転んでは起きないのだな」
と感服せざるを得なかった。
(その意味では、豊田市美術館のレニエール・レイバ・ノボも「ただで転んでは起きない」したたかさを感じさせた)
改変された展示では
「女性として差別されていると感じたことはありますか? それはどのようなものですか?」
「あなたや、あなたの身近でセクハラ・性暴力がありましたか? それはどのようなものでしたか?」
というアンケートの用紙が、ちぎられたり破られたりして、床の上にぶちまけられている。
つまり、女性差別を問うこと自体が、はじめから禁圧されていることが、象徴されているのである。
それもまた、現代の多くの社会の現実といえるだろう。

しかし、それらの紙片はすべて外されてしまい、読むことができない。
わたしたちは、女性たちの声に接する機会を奪われてしまった。
それは、すなわち、検閲と同じ事態だといえるだろう。
さて、順番が逆になってしまったが、そもそもこの作品がどういうものだったかについては、公式サイトにわかりやすく紹介されているので、コピペしよう。
「女性として差別されていると感じたことはありますか? それはどのようなものですか?」
「あなたや、あなたの身近でセクハラ・性暴力がありましたか? それはどのようなものでしたか?」
「セクハラ・性暴力を無くすために何をしましたか? これから、何をしますか?」
「これまでに受けたセクハラ・性暴力に対して本当はどうしたかったですか?」
「あいちトリエンナーレ2019」に先駆けて、今年6月に開催されたワークショップ で制作された上記のような4つの問いかけに寄せられた回答が、洗濯ばさみで 留められています。鮮やかなピンク色が目を引くこちらの展示では、様々な人が匿名で記したコメントを読むことができます。また、テーブルの上に用意されたカードの質問に、来場者は誰でも回答し、ロープに足していくことができます。
この作品では、世の中に埋もれていく「声無き声」を拾い上げて示しています。罪に問えなくとも、日常生活の中で起こる性別に関する嫌がらせや暴力が、 少なくはないことを可視化しています。
このプロジェクトは、1978年より40年以上にわたり世界各地で続けられて きたものです。作家は、見えにくく、語られにくい性にまつわる差別や抑圧、 暴力について、決してなかったことにはしません。作品を通じて私たちに 考えたり対話したりすることを促します。
なお、壁の部分には、世界各地で続けられてきたプロジェクトの概要を説明するパネルが貼られていた。
それだけに、よけいに、日本語の声なき声が
「検閲に抗議する沈黙」
で、閉ざされ、ちぎられていることに、ショックを受けたのだった。
ちょっと大げさかもしれないが、藤井光→モニカ・メイヤーの2人で、あいちトリエンナーレ2019を訪れたかいがあったとさえ思えるほどの、重量級の体験であった。
(この項続く)
2019年秋の旅さくいん