(承前)
あらかじめ書いておくけれど、小樽市民が「手宮」と呼ぶとき、いわゆる「小樽市手宮」という住所の範囲だけではなく、豊川町や石山町なども含む。
下の地図で見ると分かるが、手宮地区の南側に、道路があまり通っていない地帯が横たわっている。
これは「石山」、あるいは「荒巻山」と呼ばれる山で、手宮地区と小樽中心部の交通の妨げになってきた。
前項で十間坂について少し書いたが、あの道路があんなに広いのは、小樽側の国道か梁川通りと結ぶ計画があったからであろう。
計画は実現せず、手宮は、小樽のなかでも独立した気風と商圏を有する地区とみなされてきた。
(小林多喜二の最晩年の小説「地区の人々」も、この手宮の人々の闘いを描いているのだと推察される。
筆者は、母親が手宮出身ということもあって、以前はよく足を運んでいたし、非常に懐かしさを覚える地区である。
ただ、長じてからはあまり訪れていない。
1983年の後は、2004年ごろに少し歩いている。
2004年当時はまだまだ木造の建物が並んでいた。
しかし昨年、十間坂をテーマにした或る写真展を見て「ヤバイ」と思った。
どうやら古い建物が次々と姿を消しているようなのだ。
ようやく時間を見つけて出かけた手宮地区で撮った写真から、以下紹介していく。
地図の次の写真は、錦町交叉点。
5本の道路が入り込む、ややこしい交叉点になっている。
この交叉点の背後に、スーパーマーケットとドラッグストアができている。
手宮地区の昔からの商店街が衰えているのは、おそらくその店が原因のひとつだと思う。
交叉点のすぐ近く、小樽市街地方面から見ると、高島方面に通じる海沿いの道と、手宮公園や梅ヶ枝町につながる道との間に挟まるような位置に、中央バスの手宮ターミナルがたっている。
前者の道は、交叉点に斜めに(時計でいえば「1」と「2」の間あたりから)入り込んでいる。手宮公園は「12」の方向である。
いいかえれば、ターミナルの左側の坂を上っていけば、手宮公園の近くに着くのである。
ターミナルは2階建てだが、幼い頃はとても大きな建物に感じられた。
まわりが、木造の小さい建物ばかりだったためだろう。
ちなみに、手宮ターミナルの内部はこんな感じ。
ベンチがある。
これでも、手宮と小樽市中心部を結ぶ路線は、中央バスの幹線なのだ。
ターミナルから山側に続く道路は、筆者は手宮地区のメインストリートだと認識していたのだが、商店の数はかなり減っているように感じられた。
手宮新市場という看板を掲げた店は営業中だった。
「大売り出し」と染め抜かれた、古典的なのぼりがはためいていた。
この隣には「手宮市場」の新しい建物があったが、閉店を告げる紙が入り口に貼ってあった。
その向かいの食料品店「デリッシュTEMIYA」も閉まっているようだった。
小樽は「市場」という、対面販売の店が同じ屋根の下に並ぶ、昔ながらの形態の店舗がわりとよく残っている街だといわれるが、それでもスーパーマーケットなどに押されぎみであるのは否定できないように思われた。
「日の出湯」という銭湯もあったが、やはり営業していないようだ。
北海道は冬になると、店が閉まっていることがすぐわかってしまう。
雪かきがなされないからだ。
小樽市独特の消火栓。
普通は黄色だろうが、小樽は坂が多く、水道もポンプで上げるなどしているため、消火活動の際に同じ系統からばかり取水していると水圧が下がってしまう。
そこで、水道の系統別に色を塗り分け、取水の分散を図っているという。
(この項続く)
あらかじめ書いておくけれど、小樽市民が「手宮」と呼ぶとき、いわゆる「小樽市手宮」という住所の範囲だけではなく、豊川町や石山町なども含む。
下の地図で見ると分かるが、手宮地区の南側に、道路があまり通っていない地帯が横たわっている。
これは「石山」、あるいは「荒巻山」と呼ばれる山で、手宮地区と小樽中心部の交通の妨げになってきた。
前項で十間坂について少し書いたが、あの道路があんなに広いのは、小樽側の国道か梁川通りと結ぶ計画があったからであろう。
計画は実現せず、手宮は、小樽のなかでも独立した気風と商圏を有する地区とみなされてきた。
(小林多喜二の最晩年の小説「地区の人々」も、この手宮の人々の闘いを描いているのだと推察される。
筆者は、母親が手宮出身ということもあって、以前はよく足を運んでいたし、非常に懐かしさを覚える地区である。
ただ、長じてからはあまり訪れていない。
1983年の後は、2004年ごろに少し歩いている。
2004年当時はまだまだ木造の建物が並んでいた。
しかし昨年、十間坂をテーマにした或る写真展を見て「ヤバイ」と思った。
どうやら古い建物が次々と姿を消しているようなのだ。
ようやく時間を見つけて出かけた手宮地区で撮った写真から、以下紹介していく。
地図の次の写真は、錦町交叉点。
5本の道路が入り込む、ややこしい交叉点になっている。
この交叉点の背後に、スーパーマーケットとドラッグストアができている。
手宮地区の昔からの商店街が衰えているのは、おそらくその店が原因のひとつだと思う。
交叉点のすぐ近く、小樽市街地方面から見ると、高島方面に通じる海沿いの道と、手宮公園や梅ヶ枝町につながる道との間に挟まるような位置に、中央バスの手宮ターミナルがたっている。
前者の道は、交叉点に斜めに(時計でいえば「1」と「2」の間あたりから)入り込んでいる。手宮公園は「12」の方向である。
いいかえれば、ターミナルの左側の坂を上っていけば、手宮公園の近くに着くのである。
ターミナルは2階建てだが、幼い頃はとても大きな建物に感じられた。
まわりが、木造の小さい建物ばかりだったためだろう。
ちなみに、手宮ターミナルの内部はこんな感じ。
ベンチがある。
これでも、手宮と小樽市中心部を結ぶ路線は、中央バスの幹線なのだ。
ターミナルから山側に続く道路は、筆者は手宮地区のメインストリートだと認識していたのだが、商店の数はかなり減っているように感じられた。
手宮新市場という看板を掲げた店は営業中だった。
「大売り出し」と染め抜かれた、古典的なのぼりがはためいていた。
この隣には「手宮市場」の新しい建物があったが、閉店を告げる紙が入り口に貼ってあった。
その向かいの食料品店「デリッシュTEMIYA」も閉まっているようだった。
小樽は「市場」という、対面販売の店が同じ屋根の下に並ぶ、昔ながらの形態の店舗がわりとよく残っている街だといわれるが、それでもスーパーマーケットなどに押されぎみであるのは否定できないように思われた。
「日の出湯」という銭湯もあったが、やはり営業していないようだ。
北海道は冬になると、店が閉まっていることがすぐわかってしまう。
雪かきがなされないからだ。
小樽市独特の消火栓。
普通は黄色だろうが、小樽は坂が多く、水道もポンプで上げるなどしているため、消火活動の際に同じ系統からばかり取水していると水圧が下がってしまう。
そこで、水道の系統別に色を塗り分け、取水の分散を図っているという。
(この項続く)