加藤清江は小樽出身で、一水会や道展で活躍した画家(1914~99)。道内の女性洋画家の草分けのひとりだ。
牧場の娘として生まれ、現在の女子美大に学んだ。
道展には戦前から出品し、当時の最高賞だった長官賞を受賞しているが、会員に推されたのは戦後になってからだ。
彼女のキャリアで特筆すべきなのは、スキー・アルペンの選手としても全国大会で入賞するほどの腕前だったこと。
戦後が、スキー連盟役員として冬季五輪に参加している。欧洲の風景の絵があるのは、絵画制作のためにパリに滞在したこともあるが、五輪に行った際のスケッチをもとにしているためだ。
家庭では妻であり母親であったから、まさにスーパーウーマンだったといえそう。
今回並んでいるのは、清江の娘さんが見つけた未発表作で、これらはキャンバスを巻いた状態で保管されていたという。
加藤清江の絵は、日本的フォーブと形容すべき、ざっくりとした対象把握と勢いのある筆遣いが特徴。
冒頭画像の右側は「三本杉 瀬棚海岸」(74年、20号)。
塗り残しがあちこちにあり、キャンバスの白い下地がそのままになっている。
これらの作品は、あるいは、団体公募展に出す大作の下絵だったのではないかという推測も可能だと思う。
そのとなりは「白木蓮の咲く花」(20号)、「ばら パリにて」(同、75年)。
左は「花であふれる私の庭」(20号)。
とにかく筆遣いが奔放で、近寄って見るといろいろな色があふれていて、何が描かれているか分からないほどだ。
少し離れて見ると、なんとなく、色のまとまりのようなものが見えてくる。
右は「大雪山風景」(4号)。
道内の風景も何点かある。先述の「瀬棚海岸」(現檜山管内せたな町)や「熊石にて」(現渡島管内八雲町熊石)は、同じときに取材したのだろう。
次の画像、左端は「港の家」(50年代か? 4号)。
家の黄色い壁がハイカラで、マティスやボナールといったフランスの画家たちを思わせる。
もっともこの作品がフランスに取材したとは思えない。防波堤のあたりに、人物がたくさん描かれているが、釣りざおを持っているなど、妙な生活感が漂う。
この絵も、塗り残しが散在しており、細部まで丁寧に仕上げたがる日本の画家とは違う、ラフな雰囲気が特徴といえそう。
そのとなりは「大通公園」(4号)。
やはり1950年代の作とおぼしき絵で、いまと違って建物がほんとうに少ない。
左は「セーヌ河」(1970年代、6号)。
オレンジ色を帯びた川面、青い色の橋脚や建物など、速い筆遣いが即興的で生き生きしている。
となりは順に「大通公園」(50年代?、4号)、「もくれんと梅」(74年、20号)、「牧草」(同)。
「ギャラリー北のモンパルナス」のオーナー清水さんは加藤清江が好きらしく、グループ展に彼女の絵を何度も登場させている。
今回、絵の調査を頼まれたのも、そういう縁があったからだろう。
加藤清江については2004年にギャラリー大通美術館で大がかりな回顧展が開かれているし、市立小樽美術館にもいくつか所蔵品がありグループ展を開催したこともある。
2015年にはカフェ北都館ギャラリーでも小品展が企画された。
とはいえ、歿後20年がたち、まとめて見られる機会は今後少なくなるかもしれない。
ほかの出品作は次の通り。
小鳥の来る庭 (74年)
夏の道庁 (77年、4号)
ルクサンブール公園(パリにて) (73年、4号)
ばら (77年、8号)
りんどうの咲く庭 (73年、20号)
れんげつつじと小鳥 (74年、20号)
レモンとアネモネ (59年、10号)
熊石にて (71年、6号)
セーヌ河の橋 (6号)
あざりあ (75年、20号)
道庁の冬の朝 (81年、4号)
パリーのモデル I (73年、20号)
パリーのモデルII (73年、20号)
冬の川岸 (50年、20号)
ピンクのカトレア (76年、6号)
菊とゆり (73年、6号)
「パリーのモデル I」は独特の色彩で描かれた裸婦像である。
2019年3月5日~30日(土)午前11時~午後5時、日祝・月曜休み
ギャラリー北のモンパルナス(札幌市西区二十四軒4の3)。
■小樽の女流画家たち~庁立小樽高女の系譜 (2014、画像なし)
ギャラリー北のモンパルナスへのアクセス
・地下鉄東西線「琴似駅」5番出口から約370メートル、徒歩5分
・JR琴似駅から約860メートル、徒歩11分
・ジェイ・アール北海道バス「山の手一条通」から約810メートル、徒歩11分
(都市間高速バスや快速は停車しません)
・ジェイ・アール北海道バス、中央バス「西区役所前」から約1.06キロ、徒歩14分
(都市間高速バスや快速を含む、手稲・小樽方面行きの全便が止まります)
・ジェイ・アール北海道バス「52 琴似工業高校前行き」で「八軒1条東3丁目」から約850メートル、徒歩11分
(札幌駅前=旧札幌西武前=から出ていますが、本数は1、2時間に1本しかありません)
牧場の娘として生まれ、現在の女子美大に学んだ。
道展には戦前から出品し、当時の最高賞だった長官賞を受賞しているが、会員に推されたのは戦後になってからだ。
彼女のキャリアで特筆すべきなのは、スキー・アルペンの選手としても全国大会で入賞するほどの腕前だったこと。
戦後が、スキー連盟役員として冬季五輪に参加している。欧洲の風景の絵があるのは、絵画制作のためにパリに滞在したこともあるが、五輪に行った際のスケッチをもとにしているためだ。
家庭では妻であり母親であったから、まさにスーパーウーマンだったといえそう。
今回並んでいるのは、清江の娘さんが見つけた未発表作で、これらはキャンバスを巻いた状態で保管されていたという。
加藤清江の絵は、日本的フォーブと形容すべき、ざっくりとした対象把握と勢いのある筆遣いが特徴。
冒頭画像の右側は「三本杉 瀬棚海岸」(74年、20号)。
塗り残しがあちこちにあり、キャンバスの白い下地がそのままになっている。
これらの作品は、あるいは、団体公募展に出す大作の下絵だったのではないかという推測も可能だと思う。
そのとなりは「白木蓮の咲く花」(20号)、「ばら パリにて」(同、75年)。
左は「花であふれる私の庭」(20号)。
とにかく筆遣いが奔放で、近寄って見るといろいろな色があふれていて、何が描かれているか分からないほどだ。
少し離れて見ると、なんとなく、色のまとまりのようなものが見えてくる。
右は「大雪山風景」(4号)。
道内の風景も何点かある。先述の「瀬棚海岸」(現檜山管内せたな町)や「熊石にて」(現渡島管内八雲町熊石)は、同じときに取材したのだろう。
次の画像、左端は「港の家」(50年代か? 4号)。
家の黄色い壁がハイカラで、マティスやボナールといったフランスの画家たちを思わせる。
もっともこの作品がフランスに取材したとは思えない。防波堤のあたりに、人物がたくさん描かれているが、釣りざおを持っているなど、妙な生活感が漂う。
この絵も、塗り残しが散在しており、細部まで丁寧に仕上げたがる日本の画家とは違う、ラフな雰囲気が特徴といえそう。
そのとなりは「大通公園」(4号)。
やはり1950年代の作とおぼしき絵で、いまと違って建物がほんとうに少ない。
左は「セーヌ河」(1970年代、6号)。
オレンジ色を帯びた川面、青い色の橋脚や建物など、速い筆遣いが即興的で生き生きしている。
となりは順に「大通公園」(50年代?、4号)、「もくれんと梅」(74年、20号)、「牧草」(同)。
「ギャラリー北のモンパルナス」のオーナー清水さんは加藤清江が好きらしく、グループ展に彼女の絵を何度も登場させている。
今回、絵の調査を頼まれたのも、そういう縁があったからだろう。
加藤清江については2004年にギャラリー大通美術館で大がかりな回顧展が開かれているし、市立小樽美術館にもいくつか所蔵品がありグループ展を開催したこともある。
2015年にはカフェ北都館ギャラリーでも小品展が企画された。
とはいえ、歿後20年がたち、まとめて見られる機会は今後少なくなるかもしれない。
ほかの出品作は次の通り。
小鳥の来る庭 (74年)
夏の道庁 (77年、4号)
ルクサンブール公園(パリにて) (73年、4号)
ばら (77年、8号)
りんどうの咲く庭 (73年、20号)
れんげつつじと小鳥 (74年、20号)
レモンとアネモネ (59年、10号)
熊石にて (71年、6号)
セーヌ河の橋 (6号)
あざりあ (75年、20号)
道庁の冬の朝 (81年、4号)
パリーのモデル I (73年、20号)
パリーのモデルII (73年、20号)
冬の川岸 (50年、20号)
ピンクのカトレア (76年、6号)
菊とゆり (73年、6号)
「パリーのモデル I」は独特の色彩で描かれた裸婦像である。
2019年3月5日~30日(土)午前11時~午後5時、日祝・月曜休み
ギャラリー北のモンパルナス(札幌市西区二十四軒4の3)。
■小樽の女流画家たち~庁立小樽高女の系譜 (2014、画像なし)
ギャラリー北のモンパルナスへのアクセス
・地下鉄東西線「琴似駅」5番出口から約370メートル、徒歩5分
・JR琴似駅から約860メートル、徒歩11分
・ジェイ・アール北海道バス「山の手一条通」から約810メートル、徒歩11分
(都市間高速バスや快速は停車しません)
・ジェイ・アール北海道バス、中央バス「西区役所前」から約1.06キロ、徒歩14分
(都市間高速バスや快速を含む、手稲・小樽方面行きの全便が止まります)
・ジェイ・アール北海道バス「52 琴似工業高校前行き」で「八軒1条東3丁目」から約850メートル、徒歩11分
(札幌駅前=旧札幌西武前=から出ていますが、本数は1、2時間に1本しかありません)