Kit_A(a.k.a. KITA YOSHIKI)さんの個展。
道教育大の大学院に在学中とのことだが、とても外見は20代には見えない。教員で、大学院に入り直したのだろうか。そのあたりのことは、不思議な名義ともども、聞く機会を逸した。
個展タイトルは「Speech Balloon」で、これを見聞きすると清水哲男氏の詩集を思い出すなあ。個人的な感慨は別にして、これはマンガの吹き出しの意味。考えてみれば、この雲形定規みたいなスペースに、登場人物のせりふを入れるというのは、たいした発明ではないかと思う。
今回の個展は、マンガに着想を得た平面インスタレーションが中心だ。
冒頭の画像の作品は、3部に分かれている。マンガのページでいえば、3ページだ。
それぞれのページのコマの枠や吹き出しは、左から手塚治虫、吉田秋生、藤子不二雄Aの作品から拝借しているという。
コマによってブルーシートを貼ったり、すだれを貼ったり、女性3人組が歌うシーンを描いたり(どう見てもPerfume だと思うんだけど、キャンディーズだと言った人がいるそうです)、枠だけを引いて中は空白のまま残したり、さまざまな処理をしている。
すだれのコマについては「スクリーントーンを意識したんです」とキタさん。
こちらは「animals」のシリーズ。といっても、ピンク・フロイドというより、文字通り動物の意味。
左側は「operation-start-stop」という副題がついており、コマ枠は大友克洋の「AKIRA」から借用したもの。中には、チェルノブイリやスリーマイルアイランドの原子力発電所が描かれている(福島第一は、ない)。
右側の副題は「KIT_A2号の成長の軌跡」。まだ幼い息子さんに筆を持たせて描かせたもので、1歳、2歳で、ちゃんとした? 抽象画を描いている。紙と紙を結ぶ毛糸は、制作順につないだもの。
絵画における「作為」というものを、あらためて感じさせる作品だ。途中で、色の名前を覚えると、それに作品が引っ張られてしまうのもおもしろい。ことば以前の、純粋な絵画が成立することの困難さが、ここに現れているといえるかもしれない。
ここで、マンガと美術について考えてみる。
たとえば、リキテンスタインは、アメリカンコミックをファインアートの文脈に取り込んだ作品で有名になった。
彼の作品を見ると、ポップアートが具象画であるという見方がいかに皮相なもの(誤りとまでは言い切れないにせよ)かが分かると思う。彼が描いているのは、現実世界に存在するモティーフと言うよりは、マンガそのものなのだ。
そもそもマンガというものが、一見、具体的な世界の描写に見えるのだが、実はコマ枠や吹き出し、擬音といったさまざまな約束事に従った、一種の記号として存在している。
しかし、そういうマンガも、紙に印刷された画像や文字の配置という物質的な側面をもつことをまぬかれないわけで、その側面に注目したのが、KIT_Aさんの作品であると見ることができるだろう。
わたしたちが生きている現実の社会では、空間が枠線によって分割されたり、発語が文字列として空中に浮かんだりすることは、もちろんないのだけれど、メディアとともに生きている以上、現実世界の見え方がメディアのように変容することもまた現実の事態なのである。
2013年6月20日(木)〜7月7日(日)正午〜午後7時、月曜休み
ギャラリーミヤシタ(札幌市中央区南5西20)
FBページ→ http://www.facebook.com/events/180244228804656/
・地下鉄東西線「西18丁目」駅から約690メートル、徒歩9分
・市電「西15丁目」から約1060メートル、徒歩14分
・ジェイアール北海道バス「53 啓明線」(JR札幌駅、大通西4−西11丁目駅−啓明ターミナル)で「南3条西20丁目」降車、約330メートル、徒歩5分。
・ジェイアール北海道バス「54 北5条線」(JR札幌駅発)に乗り終点「長生園前」で降車、約710メートル、徒歩9分
・東西線「円山公園」からジェイアール北海道バス「円10」「円11」「桑11」「円13」に乗り継ぎ「南6条西25丁目」降車、約540メートル、徒歩7分
道教育大の大学院に在学中とのことだが、とても外見は20代には見えない。教員で、大学院に入り直したのだろうか。そのあたりのことは、不思議な名義ともども、聞く機会を逸した。
個展タイトルは「Speech Balloon」で、これを見聞きすると清水哲男氏の詩集を思い出すなあ。個人的な感慨は別にして、これはマンガの吹き出しの意味。考えてみれば、この雲形定規みたいなスペースに、登場人物のせりふを入れるというのは、たいした発明ではないかと思う。
今回の個展は、マンガに着想を得た平面インスタレーションが中心だ。
冒頭の画像の作品は、3部に分かれている。マンガのページでいえば、3ページだ。
それぞれのページのコマの枠や吹き出しは、左から手塚治虫、吉田秋生、藤子不二雄Aの作品から拝借しているという。
コマによってブルーシートを貼ったり、すだれを貼ったり、女性3人組が歌うシーンを描いたり(どう見てもPerfume だと思うんだけど、キャンディーズだと言った人がいるそうです)、枠だけを引いて中は空白のまま残したり、さまざまな処理をしている。
すだれのコマについては「スクリーントーンを意識したんです」とキタさん。
こちらは「animals」のシリーズ。といっても、ピンク・フロイドというより、文字通り動物の意味。
左側は「operation-start-stop」という副題がついており、コマ枠は大友克洋の「AKIRA」から借用したもの。中には、チェルノブイリやスリーマイルアイランドの原子力発電所が描かれている(福島第一は、ない)。
右側の副題は「KIT_A2号の成長の軌跡」。まだ幼い息子さんに筆を持たせて描かせたもので、1歳、2歳で、ちゃんとした? 抽象画を描いている。紙と紙を結ぶ毛糸は、制作順につないだもの。
絵画における「作為」というものを、あらためて感じさせる作品だ。途中で、色の名前を覚えると、それに作品が引っ張られてしまうのもおもしろい。ことば以前の、純粋な絵画が成立することの困難さが、ここに現れているといえるかもしれない。
ここで、マンガと美術について考えてみる。
たとえば、リキテンスタインは、アメリカンコミックをファインアートの文脈に取り込んだ作品で有名になった。
彼の作品を見ると、ポップアートが具象画であるという見方がいかに皮相なもの(誤りとまでは言い切れないにせよ)かが分かると思う。彼が描いているのは、現実世界に存在するモティーフと言うよりは、マンガそのものなのだ。
そもそもマンガというものが、一見、具体的な世界の描写に見えるのだが、実はコマ枠や吹き出し、擬音といったさまざまな約束事に従った、一種の記号として存在している。
しかし、そういうマンガも、紙に印刷された画像や文字の配置という物質的な側面をもつことをまぬかれないわけで、その側面に注目したのが、KIT_Aさんの作品であると見ることができるだろう。
わたしたちが生きている現実の社会では、空間が枠線によって分割されたり、発語が文字列として空中に浮かんだりすることは、もちろんないのだけれど、メディアとともに生きている以上、現実世界の見え方がメディアのように変容することもまた現実の事態なのである。
2013年6月20日(木)〜7月7日(日)正午〜午後7時、月曜休み
ギャラリーミヤシタ(札幌市中央区南5西20)
FBページ→ http://www.facebook.com/events/180244228804656/
・地下鉄東西線「西18丁目」駅から約690メートル、徒歩9分
・市電「西15丁目」から約1060メートル、徒歩14分
・ジェイアール北海道バス「53 啓明線」(JR札幌駅、大通西4−西11丁目駅−啓明ターミナル)で「南3条西20丁目」降車、約330メートル、徒歩5分。
・ジェイアール北海道バス「54 北5条線」(JR札幌駅発)に乗り終点「長生園前」で降車、約710メートル、徒歩9分
・東西線「円山公園」からジェイアール北海道バス「円10」「円11」「桑11」「円13」に乗り継ぎ「南6条西25丁目」降車、約540メートル、徒歩7分