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中村晋也「残響」(札幌・知事公館)

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 村橋久成は天保13年(1842)、薩摩藩島津一門の家老職を約束された名門の生まれ。開拓使に出仕してからサッポロビールの前身、麦酒醸造所をはじめ、葡萄酒醸造所、製糸所などを創設し、北海道産業の基礎を築いた。明治15年(1882)、開拓使廃止とともに職を辞して行脚放浪の身となり、明治25年(1892)神戸市外で没した。

 その業績をノンフィクション作家の田中和夫が小説《残響》で取り上げたところ、鹿児島県出身の彫刻家中村晋也が感動して昭和58年(1983)《村橋久成の胸像》を制作、個人美術館である中村晋也美術館に展示した。中村晋也はこの胸像制作の前に、幕末の薩摩藩から海外へ留学した17人をモデルとした《若き薩摩の群像》を制作しているが、その群像の中に村橋久成が含まれていた。平成16年(2004)、「村橋久成胸像《残響》札幌建立期成会」が結成され、像の札幌移設を交渉。旧国鉄や文学の関係者、一般の人から約300件、700万円に近いお金が集まった。既存の像は移設が困難なところから新たに原型から鋳造され、明治9年(1876)の醸造所開業日にちなんだ平成17年(2005)9月23日、知事公館前に建立された。



 上の文章は、札幌彫刻美術館友の会がまとめた「札幌デジタル彫刻美術館」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~hashi-sculp/Museum/1chuonisi18tyome/114/114.htmlから引用した。

 世の中にはたくさんの野外彫刻が存在するが、設置にあたって、これほどまでに物語性に富んだ経緯のある作品はきわめて珍しい。
 地方自治体が彫刻家に註文して、設置されたーという例が一般的であって、彫刻家が自発的に作った像を、民間の市民運動で再鋳造までこぎ着けたという話は、ほかにあまりきいたことがない。

 題字「残響」は、札幌在住で日本を代表する書家のひとり中野北溟なかの ほくめいが揮毫した。


 作者の中村晋也は、1926年(大正15年)、三重県生まれ。
 東京高等師範学校(現在の筑波大)卒。
 66~67年と69年、フランスに留学し、アペル・フェノサに師事。
 84年日展文部大臣賞受賞。
 2007年文化勲章。日展顧問。
(この項、武田厚『彫刻家の現場から』生活の友社から)

 つまるところ、日展の重鎮である。
 武田厚さんも日展の彫刻では随一と絶賛していた。
 同書には
「それは詩的な主題と内面の心性が厳しく調和しながら見せる穏やかな作風と、見事な心の手さばきが成せるモデリングのセンスの鮮やかさ、とでもいえるものではないだろうか」(613頁)
とある。


 札幌では、定山渓の温泉ホテルに作品が設置されているはず。
 また、1997年ごろに札幌三越店で個展を開き「ミゼレーレ」の連作を発表しており、たしかにこれはすばらしいものだった。
 鹿児島には、維新の英傑を描いた群像の大作があるので、ご覧になった方もいるだろう。

 この村瀬久成の肖像も、ほりが深く、意思の強そうな鋭い視線をしている。
 服のおおまかな処理は、この作者らしく、像全体に力強さを与えていると思う。


□中村晋也さん http://nakanishi-shuppan.co.jp/murahashi-00/murahashi-01/



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