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2018年に読んだ本(1) 『彫刻 SCULPTURE 1 彫刻とは何か』(小田原のどか編著、トポフィル)

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 2018年は興味深い美術関連の本がいろいろ出た年だった(読むのがさっぱり追いついていないが)。

 なかでもこの『彫刻 SCULPTURE 1 彫刻とは何か』(小田原のどか編著、トポフィル)は、必読の一冊だろう。これを読まずに彫刻を論じることは不可能だといいたい。
 インタビューや論考、鼎談、詩などが集まった、雑誌のような形式だが、長く流通してほしいという編者の願いをこめて、年1冊ずつ発行されていく書籍のシリーズになるようだ。
 本体2700円だが、500ページを超す厚さを考えれば、驚くほど安いと思う。

 20世紀の絵画が、とりわけ日本の洋画壇では、もっぱら造形の言葉でのみ語られ、外側の社会とつながる接点にとぼしかったのと、彫刻は似た境遇にあったと思う。
 ただ、洋画にくらべ、彫刻はそもそも言説の分量自体が少なかった。
 その一方で、彫刻は、モニュメントやオブジェといったかたちで公共空間に置かれていることが少なくない。にもかかわらず、少ない言説は量塊がどうのボリュームがどうのという技術的な側面に占められていた。これはよく考えると、非常に奇妙なことである。
 多くの駅前に裸の女の像がたっているのに、その意味を論じる言葉には乏しく、おそらくその結果だと思うのだが、たくさんの人々がすぐ横を通り過ぎているのに誰もそれを鑑賞しないどころか、気づきすらしないという事態を招いているのである。

 この状態に対してユーモラスな語り口で論評を試みてきた数少ない人に木下直之や平瀬礼太がいるが(平瀬はこの本にも「戦争に似合う彫刻」という、特集 I「空白の時代、戦時の彫刻」の概論とでもいうべき興味深い論考を寄稿している)、小田原のこの本は、近代日本や戦争といった語に代表される問題意識に沿って、そもそもなぜ公共空間には女性の裸体があふれているのか、日本社会と彫刻はどうかかわってきたのかを、根底から問い直す文章が収録されているのである。

 特集 I「空白の時代、戦時の彫刻」には、平瀬のほかに
千葉慶 「公共彫刻は立ったまま眠っている ―神武天皇像・慰霊碑・八紘一宇の塔」
椎名則明「鑿のみの競作 ―《和気清麻呂像》建設を巡る諸問題」
迫内祐司「近代日本における戦争と彫刻の関係 ―全日本彫塑家連盟を中心に」
の論考と、白川昌生、金井直、小田原による鼎談「『彫刻の問題』、その射程」が収められている。

 道民としては迫内論文に、大政翼賛会に呼応するかたちで全彫連が1940年(昭和15年)に東京の三越本店などで開いた「健民彫塑展」を紹介するくだりで、本郷新、山内壮夫、梁川剛一、中野五一といった名前が登場するのが興味深い。42点中4点が北海道ゆかりの彫刻家の作品なのだ。
 同展覧会は彫刻家と詩人のコラボレーションというかたちで企画された。その作品リストには、反戦を貫いた詩人として戦後尊敬された金子光晴の名があることには、驚嘆した(もちろん、金子が戦争賛美や大東亜がらみの作品も書いていたことについて、櫻本富雄氏らの執念深い追跡調査によって明らかにされてきていることぐらいは、筆者も知っている)。ほかにプロレタリア陣営の詩人はおらず、「荒地」などで戦後詩をリードした詩人も若すぎたのだろう、ここには見当たらない。
 もっともこの展覧会は、兵士や労働者だけではなく、旧作の女性像などもあったというから、彫刻家がみなそれほど戦争へとまい進していたというわけではなさそうだ。ただし、次のような文章を読むと、病理の根の深さに嘆息せざるを得ない。

北村(西望)や小倉(右一郎)のような戦争と関係なく作られた旧作でさえ、その公開の仕方次第であったり、タイトルを変えたりするだけで、いくらでも「戦争彫刻」になりうることが出来るのだという、彫刻の特性、危うさを示してもいた。(中略)どんな作品であろうがあっさりと戦争に動員されてしまう怖さがある。逆もまた然りで、清水多嘉示が、出征していく夫を見送る妻子の姿をギリシャ彫刻のような顔だちや服装によって普遍的な美として表現した《出征勇士を送る》(旧題は《千人針記念碑ノ一部(出征兵士ヲ送ル》)は、戦後は《はばたき》や《母子像》と改題されて彼の代表作のひととなり、またほぼ同じモティーフ、構成の《母子像》を第一回日展(一九四六年)に発表し、これらは各地でブロンズ像が設置され、「平和のシンボル」と呼ばれることもあった。(212~213頁)

 いいのかよ、そんなんで…orz

 おそらく清水だけの問題ではないのだろう。
 近代日本の美術家が、自ら考え抜いた結果でなく、帽子のように簡単に着脱できるスタイルとして作風を選びとったのと同一の構造がここには見て取れる。
 あくまで彼が考えている問題はテクニカルなことだけであり、なぜ自分はこういう表現をするのかという、いわば実存をかけた問いはすっぽりと抜け落ちている。
 だから、戦争を賛美した作品が、平和をたたえる作品にそっくり移行するというようなことが起こりうるのだろう。

 ちなみに、この論文には本郷新の名はくりかえし登場する。
 日本美術報国会の彫塑部幹事として、勤皇烈士顕彰彫塑展(1943)の委員として。
 同展では、吉田松陰をとりあげた彫刻家が7人もいたなかで、本郷はただ一人、実在の人物ではない「兵士の像」という佳作を出品していたという。

 この論集にはほかにも興味深い文章が目白押しである。

 その後、「彫刻 1」は増刷となり、小田原さんは2冊目の準備を進めている。
 続刊が楽しみだ。

topofil http://topofil.info/index.html

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