伊達在住の画家で、道内画壇の第一線で半世紀にわたって活躍してきた野本醇さんが死去しました。
2019年1月12日の北海道新聞が伝えました。
気づくのが遅れてすみません。
10日正午に肺炎のため亡くなったそうです。88歳でした。
(享年を訂正しました)
野本さんの画業について、美術評論家吉田豪介さんの名著『北海道の美術史』に、次のようなくだりがありました。
野本は、アンフォルメル旋風のさなか、土の匂いの濃厚な非具象作品から出発し、やがて動的な牛、馬が現われ、次第にそれらが凍結して静寂の画面となった。一時は北方ロマン主義的な具象表現の家族、食卓などが描かれる時代もあったが、それらを貫通して浮かびあがえる表現性は、北方的、象徴的、表現主義的といえるだろう。求心的な奥行きにあり余る想像力を傾注する。
まさにこの通りで、筆者ごときがつけくわえることはほとんどありません。
晩年は、黒と茶を基調に、楕円や球形が浮かぶ空間の向こう側から、あたかもドアのすき間から漏れているかのような光が描かれている、そんな作品を多く描いていました。
それは抽象といえばいえるのですが、かたちや色のおもしろさを追求するというよりも、北方的な精神性をたたえた作品だったといえると思います。
野本さんは1930年(昭和5年)、函館生まれ。
北海道学芸大(現北海道教育大)在学中の50年、赤光社しゃっこうしゃアンデパンダン展で「公民館賞」を受けたのがデビューということになりましょう。
函館では田辺三重松に指導を受けていたそうです。
全道展では第9回の54年に知事賞、57年に奨励賞を得て、58年に会友に推薦され、60年に会員に推挙されました。
この年の会員推挙は10人と多く、同期には小野洲一、蛯子善悦、鵜川五郎の各氏(いずれも故人)がいます。
おそらく野本さんは現役最古参の会員でした。
一方、当時はまだ異端視されていた、団体公募展以外の活動にも積極的でした。
59年に北海道青年美術家集団の旗揚げに参加。
63年には、グループ「組織」を結成します。他のメンバーは田村宏、長谷川洋行、阿部典英、高橋昭一、豊島輝彦、米谷雄平の各氏(阿部さん以外は全員故人)。HBC三条ビルギャラリーで年3度のグループ展を開くなど、活発でしたが、65年に脱退しています。
69年には安井賞にノミネートされました(80年も)。
70年には一度限りのグループ展「EXHIBITION 70 HOKKAIDO」に出品。
札幌時計台ギャラリーが始めたコンクール「札幌時計台文化会館美術大賞」では、75年の第2回展で「北の箱舟」が大賞に輝いています。
この作品は、同ギャラリーの最上階にあったオーナー荒巻義雄さんの書斎の入り口に架けられていたと記憶しており、筆者も何度か見たことがあります。冬の森にさまざまな動物が描かれた、北方ロマン主義的な色彩が漂う絵でした。
さらに86~95年には「グループ朔」を、神田一明、木村訓丈、福井正治、伏木田光夫の全道展会員4氏と結成。同ギャラリーで毎年展覧会を開きました。
この時期の北海道を代表する絵画グループ展です。
伊達に移住したのは1974年のようです。
室蘭民報(2018年7月17日)によると、2017年に油彩273点を伊達市に寄贈しており、市は今春オープン予定の「だて歴史の杜文化ミュージアム」の開館に合わせてオープンするアートホールに一部を展示する計画だそうです。
筆者は個人的にお話しする機会はありませんでした。
せめて、春の施設開館までお元気でいたらーと思えてなりません。
ご冥福をお祈りします。
関連記事へのリンク
■野本醇自選展(2013)
【告知】野本醇個展 (2011) ※年譜などあり
■野本醇展(2009年)
■野本醇個展(2007年)
■野本醇個展(2003年)
=いずれも作品画像なし
2019年1月12日の北海道新聞が伝えました。
気づくのが遅れてすみません。
10日正午に肺炎のため亡くなったそうです。88歳でした。
(享年を訂正しました)
野本さんの画業について、美術評論家吉田豪介さんの名著『北海道の美術史』に、次のようなくだりがありました。
野本は、アンフォルメル旋風のさなか、土の匂いの濃厚な非具象作品から出発し、やがて動的な牛、馬が現われ、次第にそれらが凍結して静寂の画面となった。一時は北方ロマン主義的な具象表現の家族、食卓などが描かれる時代もあったが、それらを貫通して浮かびあがえる表現性は、北方的、象徴的、表現主義的といえるだろう。求心的な奥行きにあり余る想像力を傾注する。
まさにこの通りで、筆者ごときがつけくわえることはほとんどありません。
晩年は、黒と茶を基調に、楕円や球形が浮かぶ空間の向こう側から、あたかもドアのすき間から漏れているかのような光が描かれている、そんな作品を多く描いていました。
それは抽象といえばいえるのですが、かたちや色のおもしろさを追求するというよりも、北方的な精神性をたたえた作品だったといえると思います。
野本さんは1930年(昭和5年)、函館生まれ。
北海道学芸大(現北海道教育大)在学中の50年、赤光社しゃっこうしゃアンデパンダン展で「公民館賞」を受けたのがデビューということになりましょう。
函館では田辺三重松に指導を受けていたそうです。
全道展では第9回の54年に知事賞、57年に奨励賞を得て、58年に会友に推薦され、60年に会員に推挙されました。
この年の会員推挙は10人と多く、同期には小野洲一、蛯子善悦、鵜川五郎の各氏(いずれも故人)がいます。
おそらく野本さんは現役最古参の会員でした。
一方、当時はまだ異端視されていた、団体公募展以外の活動にも積極的でした。
59年に北海道青年美術家集団の旗揚げに参加。
63年には、グループ「組織」を結成します。他のメンバーは田村宏、長谷川洋行、阿部典英、高橋昭一、豊島輝彦、米谷雄平の各氏(阿部さん以外は全員故人)。HBC三条ビルギャラリーで年3度のグループ展を開くなど、活発でしたが、65年に脱退しています。
69年には安井賞にノミネートされました(80年も)。
70年には一度限りのグループ展「EXHIBITION 70 HOKKAIDO」に出品。
札幌時計台ギャラリーが始めたコンクール「札幌時計台文化会館美術大賞」では、75年の第2回展で「北の箱舟」が大賞に輝いています。
この作品は、同ギャラリーの最上階にあったオーナー荒巻義雄さんの書斎の入り口に架けられていたと記憶しており、筆者も何度か見たことがあります。冬の森にさまざまな動物が描かれた、北方ロマン主義的な色彩が漂う絵でした。
さらに86~95年には「グループ朔」を、神田一明、木村訓丈、福井正治、伏木田光夫の全道展会員4氏と結成。同ギャラリーで毎年展覧会を開きました。
この時期の北海道を代表する絵画グループ展です。
伊達に移住したのは1974年のようです。
室蘭民報(2018年7月17日)によると、2017年に油彩273点を伊達市に寄贈しており、市は今春オープン予定の「だて歴史の杜文化ミュージアム」の開館に合わせてオープンするアートホールに一部を展示する計画だそうです。
筆者は個人的にお話しする機会はありませんでした。
せめて、春の施設開館までお元気でいたらーと思えてなりません。
ご冥福をお祈りします。
関連記事へのリンク
■野本醇自選展(2013)
【告知】野本醇個展 (2011) ※年譜などあり
■野本醇展(2009年)
■野本醇個展(2007年)
■野本醇個展(2003年)
=いずれも作品画像なし